今年、2017年も残すところあと2週間ほどとなりました。
気がつけば、ブログが前回の双子座新月以来の更新となってしまいましたが、
この間、ブログで伝えたいと思うことが怒涛の如く自分の中に溢れたかと思えば、
次の瞬間には自分で感じたことのはずなのに捉えどころがなくなったり、
情熱的にアクションを起こそうと思いきや、
内なる静寂さが外へ意識を向けることを一時的に遮断させたり・・・。
そんな中、今後のこのサイトやブログの存在意義や方向性についても考えさせられたりもしました。
皆さんはどんな感じで過ごされていますか?
さて、2017年12月18日15:30射手座にて新月が起こります。
今回の新月は、今年最後の新月であるというだけでなく、
来年2018年への布石を打つ(基盤となる要所や展開を先導していく)大事な新月です。
今回の新月の特徴をあげていきます。
■射手座のもつエネルギーが強力に働く
この新月の時、月だけでなく、太陽、土星、金星、水星の5つの天体が射手のサインにあります。
射手座のもつエネルギーの性質は、
「永遠の真理を求める理想と気高い内なる信念をもって、’未知の世界を知りたい’という熱い魂に突き動かされるようにコンフォートゾーン(安全地帯)から、片道切符で外に飛び出していく精神性」
です。
ここに私達の内なるエッセンスの形而上的なシンボルである天体5つが配置され、この射手座のエネルギーを受けるわけです。
つまり、私達の中の
自分らしさ、潜在意識、感受性、人生の目的意識、自我、克服すべきこと、制限、喜び、調和を感じること、知性、コミュニケーション
というアスペクトにおいて、この射手座のエネルギーが刺激します。
おそらく、今回、これを実感させられるのが、
’他者との関わりを通じて’になる、というのもポイントです。
他者との一対一の関係性の中で、水星逆行も手伝って、
「深く内なる自己と対話し、真実の自分を見つけていくこと」
にフォーカスすることになるではないかと思います。
’他者’という鏡が映し出されたものを反転させたものが’自分’である
ということに気付くことかもしれません。
■銀河の中心と集合意識
今回の新月では、月が天の川銀河の中心「ギャラクティックセンター」付近にあることから、
この射手座の新月は
地球を超えた銀河レベルのエネルギーとも繋がっていて、
地球はもちろん、それを含む太陽系全体の集合意識への大きな働きかけがあるのかもしれません。
ひとつ、これと関連しそうな分かりやすい出来事として
先日、12月13日〜15日に映画「スターウォーズ/最後のジェダイ」が世界各国で公開されました。
こういう世界規模で大成功を収めるような作品、芸術、音楽などは
ストーリー、イメージ、色、メロディー、歌詞など、
個人のマインド(今までの学習、経験、思考パターン)のレベルを超えて、
作者は集合意識へアクセスしたものを’インスピレーション’で受け取って創られると言われています。
よってこういう作品は惑星、宇宙レベルで集合意識を刺激するので、
その後、世界規模で人の意識を変えるような大きな出来事の勃発、変化や展開が起きやすくなるとも言えます。
ちなみに、12月12日が新たな次元の幕開けとなるような数秘的エネルギーをもっていたとされるので、そこから続くこれらの流れは在るべくして在るものにも思えます。
■この後の展開と今、起きていること
12月20日に2015年から約2年半をかけて射手座を運行していた土星が、自分の支配星である山羊座に約29年ぶりに帰還します。
この約2年半の間、
私たちは’内なる自分の真理’を見つけるために
自分の中の恐れや不安、弱さ、制限、限界としっかり向き合ってきました。
その中で得て、感じた
「自己のビジョン」
が、この後、山羊座の土星が具現化していきます。
22日には太陽も山羊座入りする「冬至」が、この具現化の最初のスタートを切るでしょう。
なのでこの時期、特に冬至に入る頃までに、
射手座のエネルギーを活用して、
自分が魂レベルで喜びが感じられ望むものをしっかり把握し
その望むことを実現しているビジョン(イメージや感覚)を
自由に、制限なく、思い描いたり、感じてみましょう。
ポイントは
’制限や限界なしに’
です。
この記事の冒頭で私がここ最近、感じていることを書きましたが、
それは今、
・古い信念/エネルギーパターンの解体と再構築中
・新しい信念/エネルギーパターンの導入開始したところ。
・この新しいエネルギーパターンは、マインドで捉えれるものではなく、今までやり方では取り扱えない
・この新しいエネルギパターンは、未知で、不規則で(地球上の私達から見た視点で)、コントロールできない
→コントロールすべきでない。予期せぬ、思考の枠を超えた、この意外性を楽しんでみる。
→人の意識を拡大させ、新しいクリエイションの形を創る。
・・・・なのかな、と感じています。
そもそも捉えられないものを、限界のある言葉で定義する事自体が適切ではないので、
要はこれから、益々、言葉や思考を超えて
「私達がどんな体験を通じて何を感じているか」
が唯一の自分にとっての真実であり、そこに良し悪しは愚か、定義する意味もなくなってくるのだと思います。
もっと言えば、
’ただそれ(体験や感覚)を楽しむこと’以外に、
生きている目的(使命)など本当は何もないのかもしれません。