【3/21春分】魚座新月での学びと春分ポータルのオープン

今回の魚座の新月、相当強烈で深く、大きな癒やしの新月となったようですが、

皆さんはいかがでしたか?

今回の新月の前後、私自身だけでなく、周りの人達からも

’苦しい’、’吐きそう’、’死にそう’、’・・・(無言)’というような

ただものならぬ悲鳴をあちこちで聞きました(実際に倒れた人もいたり)。

前回の記事でも書きましたように、

この魚座のステージは12サインのサイクルの’自我を融解する’という最後のステージであり、

また水のサインなので、特に自我をベースにした感情のブロックに焦点が当てられたようです。

その感情のブロックに関しても、今回は表層意識的なものだけではなく、

3月9日に逆行に入ったばかりの蠍座にある木星との連携もあり、

心の奥深くにある、開かずの扉と化していた’アンタッチャブルな感情のドア’に触れてしまった、

もしくは開けてしまった、という人もいたのかもしれません。

この感情のドアは、他者はおろか、自分自身にさえにも’無かったことにして隠しておいた’自身の中の閉ざされた恥部と信じているものであり、

このドアに触れることは、まさに心の奥の最も柔らかく痛い部分をえぐられる感じでしょう。

さらに今回、私達が触れてしまったこのドアの奥にある感情のブロックというのが、

今生の体験によって作られたものだけでなく、

過去生などの私達の魂が時空を超えた体験を通して背負ってしまったものもあったようで、

それは私達の意識では捉えきれない潜在意識の深いエーテリックな部分において、

魚座の新月と共に、傷ついたヒーラーである小惑星カイロン、宇宙の無条件の愛を流す海王星のサポートによって、

人智を超えた、とてつもない大きな癒やしが、個人レベルないし、集合意識レベルで起きたように感じました。

ここで起きた癒やしについて今は具体的に分からなくても、

しばらくすると具現化してくるので、その時にその意味が分かるのではないかと思います。

というわけで、今回の魚座の新月では

まさに今まで隠されていた「自身の中のシャドウ(闇)」にしっかりと光が当てられた感じがしました。

そのシャドウも上記の通り、想像を越える得体の知れぬものも含まれていたかと思いますが、

今回の学びは、実はシャドウそのものについてというよりも、

シャドウを見つけた時の「自分の反応の仕方」なのではないかと思いました。

これは、今年の冒頭の記事でも書きました、今年のユニバーサル・ナンバーである「11」というマスターナンバーの学びのレッスンなのではないかと気付きました。

マスターナンバーの学びは、対極にあるもの、異なるものを統合していき、更に意識を拡大した視点で世界を観ることです。

「光は善いもので、闇は悪いもの」

というエゴ(自我)の見方を解体する魚座の世界で、

「在るものをただ在るものとして受け入れる」

ということを、今回、

自身の内にある(強烈な)シャドウを通じて学んだのだと思います。

よくヒーリングで使う「手放す」という概念も、

「これはネガティブだから’手放す’」と意図しているうちは、エゴの視点でものごとを捉えているだけなのだと思うのです。

これを、

「’これはネガティブだ’という視点(ものの捉え方)を手放す

というのが、「11」のマスターナンバーの教えなのではないかと。

昔、カタリ派が「光」だけを善きものと信じ、光のみを求めた結果、結局、闇を引き寄せてしまったと言われています。これは、大天使と堕天使の存在の意味にも通じます。

存在には対極するものが必ず在り、それらが在ることを認めた上で、それらの波形の統合点に、成長や進化、悟りがあるのではないでしょうか。

・・・この今年のマスターナンバー「11」の最初の試験がまさか、ここにあったとは!

はーっ、私、試験に落ちたかも(笑)。

それにしても、魚座の世界はなかなか興味深かったです。

肉体を脱いだ死の世界を模擬体験した気分です。

さあ、これで前回のサイクルは終了し、

3月21日にはいよいよ、12サインの新しいサイクルが始まる「春分ポータル」がオープンします。

魚座のステージで自我を溶かしたことで見えてきた、

今までしがみついていた不要なことや

また、潜在する自分のあらゆる可能性を通して、

自分が本当に望む「私」のストーリーを自分で選択して、スタートできる時です。

この春分ポータルは3月25日の上弦の月辺りまでオープンするようなので、

その辺りまでにしっかりと新しいサイクルのビジョンを明確にしておきたいですね。

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