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【水瓶座・満月】<私>の器を俯瞰する神の視点

いつもご覧頂きありがとうございます。

さて8月に入り、日本各地で続々と梅雨明けとなりましたね。そしてそれと同時に、エネルギー的な何かもこれまでとは明確に切り替わった感じがしているのですが、皆さんはどんな風に感じていらっしゃるでしょうか?

そんな中、2020年8月4日0:58に水瓶座にて満月となりました。

今回もこの満月についてアストロロジー、タロットカード、数秘、インスピレーションなどを通して感じたことを自分の意識のメモとして書いてみたいと思います。

■いよいよ到来する「風」の時代への布石

この水瓶座の満月は今年12月22日から200年ぶりの時代精神の変わり目と言われる「土」から「風」の時代への明確な第一歩になりそうです。

それは過去の「物質的なもの、積み重ね保持するもの」に社会や人々が価値をおいてきた在り方が「思考、情報、形がなく拡散するもの」への大転換しようとしているところです。

簡単に言ってしまえば、「固くて、重くて、時空間にとらわれていたもの」から「流動性があって、軽やかで、時空間を超越したもの」への移行です。

これは自分がこの大転換の移行の流れに乗っているかを確認する大事なポイントだと思います。この流れに乗っていない自分のライフスタイル、人間関係の在り方、仕事の仕方、物事の考え方や行動パターンの状態にある人は、今、とても行き詰まっているのでは?

そして、ピンときた人もいるかと思いますが、実は世界的なパンデミックを引き起こした今回の新型コロナウイルスは、地上の全ての人達の生き方や意識の在り方を一変させ、この大転換の流れを一気に加速させたように思えるのです。

さて、この年末から突入する約200年の「風」の時代への最初のドアが、今回の満月と同じ「水瓶座」になります。

<私>という自我の制限を超える精神性

この満月は、水瓶座にある月と向き合う獅子座の太陽、そしてそれらに緊張感のある眼差しを送る牡牛座の天王星が特徴です。

圧倒的個としての<私>を表現する主観性の獅子座と、異なる独自性をもつ個の集まりとして世界を捉える客観性の水瓶座。

この満月では、自我の欲望と仮面で取り繕って’これが自分らしさだ’と振りかざしてきた<私>の在り方が大きく揺るがされるのかもしれません。

それを乗り越えるのに、自分でこだわっている<私>を圧倒的な客観的な視点で俯瞰する精神性をもつことが大切になりそうです。

すると<私>という独自性を支えている<他者>という存在の見え方が変わってくるようです。

しかし、「<私>を圧倒的な客観的な視点で俯瞰する精神性」は単に淡々とした論理的思考で育つものではないと思うのです。

■感情的体験を通じて集合的意識で繋がる<私>と<他者>

ここまでに至るプロセスは本当によくできていて、論理的に考える規則的流れでは、本来この「水瓶座・満月」の前に「獅子座・新月」がくるはずでした。しかし、実際は「蟹座・新月」が2回連続起こりました。しかも、その間の山羊座・満月も含め「蝕が続きました。

その当時の記事でも書きましたのでここでの詳細は省きますが、その「蟹座・新月」や「蝕」の期間は、肉体をもった個としての<私>を超えた集合的意識で<他者>と繋がる感情的・感覚的体験をした期間でした。

それは頭で考えて理解するのではなく、心で感じる体験であるということがポイントです。というのも、心の世界は魂の領域だからです。

どうやら、この魂の領域での<私>と<他者>との一体感の反映としてこの世界を捉える「<私>を圧倒的な客観的な視点で俯瞰する精神性」であるようです。

また「蟹座・新月」の心の世界(魂の領域)から、今回の「水瓶座・満月」へのバトンは、実は私達の中の’時空感覚’をシフトする機会となり、ここでも「地」から「風」の時代への着実な布石となっているようです。

メタ視点(神的知性)を獲得していく

この満月は、今までの人間の、自分の常識や価値観の延長としてこれより先の新時代に進んでいくことはできない、ということをはっきり伝えてきているようです。

長年当たり前のこととして慣れ親しんだことを終わらせたり、変えるということはとても勇気がいることのように感じるかもしれませんが、「それ、本当にあなたにとって必要ですか?」「これからもまたずっとそれをただ繰り返すだけの人生にしたいですか?」

水瓶座が超えようとする「制限・限界」は、私達の中の停滞感、行き詰まり感となって表れてきます。でもそれは、今の自分だと思っている枠のエッジに触れている証拠だと思うのです。

つまり、その枠の向こう側に未知の自分の可能性が広がっているということなのです。

’枠’とは、<私>という意識をもつための「器」とも言えます。それは、無限のいちなる全てである神が’自分を知るために’、<私>という「器」を見つめる眼差しや触れる<他者>を創り、<私>という「器」から見る自分の創った世界を体験しているのだ、と。

・・・・でですね、これから私達人間は今まで「器」=<私>だと思っていた視点の外に出た圧倒的なメタ視点の獲得(正確には取り戻していく感じ?)していくことが大事というか、そういうプロセスに向かっているようなのです。

これについてはあまりにも壮大過ぎて想像が付きにくい話に感じるかもしれませんが、要はそのぐらい今までの自分を突き抜けていけ!ということなのでしょう。

これからは、当たり前の常識や誰かが正解を教えてくれることはないでしょう(誰も何も知らないのだから)。

これからは、私達が向かう先は未知なることの連続でしょう(だからこれまでの価値観ややり方は通用しない)。

未知だけに具体的なことは今のところは分かりませんが、でもワクワクするのです。根拠もなく「何とかなるさ」としか思えず気持ちが軽いのです。

それはきっと、これからは「何が成功で何を失敗か。何が優れてて何が足りないか。」などといったこれまでの価値基準はなくなり恐れや不安をもつ理由がなくなるでしょうし、ましてやそれに対する忍耐や努力という概念もなくなるでしょう。そして、何より私達は<器>を超えた自分という存在を全く新しく再定義することになるのではないかと感じているからです。

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