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【天秤座・満月】潜在化していた意識の可能性のはじまり

先週あたりから、庭先で新米のウグイスが発声練習をするのを耳にするようになり(どんな田舎に住んでいるのかバレますね笑)、確かな春の到来を感じている本日3月21日の朝6:59に春分の日を迎え、その4時間後である10:43に天秤座で満月を迎えました。

春分の日は占星術の世界でいう新しいサイクルのスタートの日であり、’宇宙元旦’’宇宙新年’とも呼ばれています。
そんな今回の満月は春分ゲート通過直後であり、天王星・牡牛座時代最初の満月であり、スーパームーンでもあるという、まだよく把握できていなくても何となく凄いことがスピーディーに展開されていくような勢いを感じませんか?

◆今回の満月の占星学的ポイント◆

  • 春分直後の満月
  •  月が天秤座0度(4ハウス)、太陽が牡羊座0度(10ハウス)で起こる
    • 天秤座1度の月のサビアン・シンボル「突き通す針により完璧にされた蝶」
    • 牡羊座1度の太陽のサビアン・シンボル「女性が水から上がり、アザラシも上がり彼女を抱く」
  • 太陽とカイロンがコンジャンクション
  • 太陽、月、アセンダント、ディセンダントで活動宮のグランド・クロス
  • アセンダントが蟹座1度
  • 水瓶座・金星と牡牛座・火星がスクエア

この満月が象徴することは、とにかくたくさんの要素や観点、そいて重要な分岐点が交錯しており、つい昨日まで私達の自我が魚座の子宮の中にいたこともあり、気持ちもどこか寝ぼけ眼でフォーカスすべきことが定まらない意識の混乱がある時かもしれません。

それでもやはり、’これまでとは違う強烈な新たな始まり’を感じさせる満月であるように感じます。本来、満月は’サイクルの’完成点’であるのですが、ひとつの到達点に達したからこその新たな視座が得られるわけで、そういう意味では今回の満月の時点で私達が達した所は、これまでとは比にならない程の、いわゆる’大きな山場’にいる感じなのかもしれません。

この山場はこれまでにない可能性とチャンスの大きなターニングポイントです。と言っても、これから更に大きな第二、第三の山場は出てくるでしょうが、少なくともターニングポイントと言うからに、ここから自分次第でこの後、展開されていくステージが全く違ったものになっていくのは確かでしょう。

実りの体験の中にある重要なエッセンス

この時期、半年前の天秤座新月頃から取り組んできたことやそれよりずっと前から取り組んできたこと(もしかしたらそれは人間関係、とくにパートナーシップの在り方に関することかもしれません)で、自分が望んでいたことや欲求が十分に満たされたり、完成する体験をしているのかもしれません。

さて、本当はとても喜ばしく、幸せを感じられる時のはずが、

’これは本当に私が望んでいたことなのだろうか?これは私が本当に目指してきたことなのだろうか?’

とふと立ち止まり、心の中から問いかけが起こります。

実はこの体験の結果は目指していたゴールなのではなく、その中から最も重要なエッセンスを見つけ取り出し、それをこれから育てていく必要があることに気付かされるのです。というのも、それこそが繰り返し新たな欲求をもって満たしていくというこれまでの習慣化した惰性的なサイクルから抜出すためのシードであることをなぜか知っているからです。

見られている自分とは何者か?

この天秤座・満月のサビアンシンボルから、「見られている自分」というのがテーマにあります。

このサビアンの解釈ですが、一般的には’他者から見られている自分の在り方・振る舞いを意識する’という天秤座のアーキタイプの象徴そのもので、これまで通りの’他者意識に自分を合わせる他人軸や、他者(その他大勢も含む)が求める基準や価値観の中で生きるという在り方’として捉えるというステージから私達や時代は次のステージへ移行していると感じています。

そのステージの移行の鍵になると思われるものに、’他者という存在の再定義’があるのではないでしょうか。

私達にとって、他者とはそもそもどんな存在なのでしょうか?他者とは自分の外にあり、自分とは全く別個の分離された存在なのでしょうか?

私達は生まれながらに世界を見ている(と思っている)自分の物理的な視野を持っています。しかし、自分を直接、見たことがありません。なぜなら、自分自身を直接見れないこの視野こそが、「私」という自我存在の証明でもあるからです。

そんな自分を直接、見ることができるのが’他者’という存在、つまり、他者とは自分では見れない自分を見る視点です。もちろん、その視点は他者の数だけあり、その他者がもつ特有の主観的な観点によって違いがあります。

しかしここに、私達の「私」のアイデンティティーに関わるとんでもない事実があります。

私達は自分で自分が見えないために、物心がついた時から、そんな他者の自分に向けられる言葉や態度と、その経験の積み重ねを「私」のアイデンティティーの定義としているということです。

つまり、誰かにふと「あなたは〇〇だね」と言われたそのたった一言が、自分を定義するのに十分な原因になりうるのです。その誰かの、特に何も考えて発したわけでもない(もしかしたらその時、たまたま嫌なことがあったり気分が悪かったのかもしれない気まぐれの)言葉や態度、その人独自の自己表現の仕方といったものに、私達は自分自身の自己評価を下し、パーソナリティー(人格)を形成しているのです。

いやいや自分は他者の言動など気にしていませんよ。自分のことは自分が一番分かっているし、自分で自分に関することを判断しているから大丈夫です。

と思っている人でも、自分の性別、国籍、年齢、家系、家族・学校・会社・地域など所属しているあらゆるコミュニティーと役割の中にある限り(つまり、普通に生きている限り)、自分はそう思わなくてもそんな多くの他者の集合意識の中で自分を定義するものをほぼ無意識的に受け取っていたりします。

それを思うと、「私」の定義はそもそもがとても曖昧なのです。

実際、「私」をつくる自我自体は実体がありません。なので、’見られている自分’を体験させることであたかも「私(自我)」が存在しているかのように錯覚させるのも他者存在の役割だったりします。そういう意味で、他者もまたとても曖昧な存在なのだということが分かります。

「私」と他者の互いの視線と主観的な観点によって、お互いの自我意識を強化し合う中で形成された個人という存在同士が、人間関係をつくっています。

「私」は他者からどんな言葉や自分に向けられる眼差しを受け取り、それを「私」の存在定義の一部にするのか。

そんな風につくられた「私」の眼差しが、他者や世界の見え方に反映されている。

「私」は他者や世界から「私」の自我意識を反映する部分を取り出し反応する。

この反応し合う他者との関係性がこの世界の人間関係だ。

この天秤座・満月でのいわゆる「自分と他者との関係性」のテーマについて、こういった視点で再確認してみるのもよいのかもしれません。また、カイロンが太陽にコンジャンクションしていることから、他者を通じて、自分の無意識の中にあるトラウマや心の傷について知ることができるかもしれません。

このテーマは、来月にも2回目の天秤座・満月が起こることから、これからフォーカスされる課題のひとつになりそうです。

自我意識の革命の始まり

上記の話には続きがあります。自己と他者による人間関係を育てる舞台が必要になるのです。

それはこれらの個人が共有する第三の視点の存在です。それは例えば、宗教、国家、社会であったり、その中で機能する法やシステムなどを指し、実はこれこそが私達が「世界」と呼ぶものだったりします。

それは異なる主観性をもった「私」と他者を背後から見る目です。というのも、この第三の視点を私達は直接、みることができませんが、しかし’常に見られている’というように感じるものです。

行ったことがない地球の裏側の国々や会ったことがないどこかの国の大統領がどうのうこうのというのも、全て私達の自我意識が共有する概念の設定でしかありません。つまり、私達は自分が信じている概念の世界の中で生きています。「私」と他者は共有する概念をもっているからこの世界で出会って、関係性をもつことができているということです。

ここで大事なことは、

  • 「私」も他者も世界(第三の視点)も、概念でしかなく本当は実体はない
  • 「私」も他者も世界(第三の視点)も互いに存在させるための共通の概念を共有する関係にある

であり、だからこそ、「私」との内的な関係性は、自分と他者や世界の関係性に反映であり、「私」の他者や世界への接し方は、実は「私」自身との接し方を映していたりするのです。

そして、全て概念であるため、はっきり言って本当は「私」=他者=世界なのだということです。(もちろん、これら3つを成立させるために、各々の概念からつくり出される、このバーチャルな物質世界では見かけ上の形態や状態は異なるが。)

こんな3つの概念の視点が作り上げたパターンを地球で人類はずっと繰り返してきたのですが(多少の’進化’という名の見かけ上の変化を加えてはいるが)、人類史上初めてこのパターンをもう止めて次の次元のステージに移行しているのが、今の時代だと言われています。

その歩みのための第一歩が、小さな「私」という自我(エゴ)意識を手放すことなのだと思っています。

これは春分図のホロスコープも合わせて、小さな自我の大解体期に突入していることを感じさせます。もちろん、それと共に、自我「私」が概念を共有している他者や世界(社会)の解体にもつながるでしょう。

自我の解体や人類が長年信じてきた概念の崩壊は、それが自分の全てであると疑わなかった私達にとって、エゴに取っては死に値する強烈な恐れにも十分になりかねます。ここを上手く使って人々の恐怖を煽る人たちもいるし、また人々も闇雲にパニックなどの混乱に陥るところでもあります。(ちなみに不安や怖れは自我を介入させ物事の認識を歪ませるだけで、役に立ちません。)

が、大事なことは上記したように、まずは全ては概念であるということです。概念なのだから、本当は’死’はないく、消失した後でそれが単なる影であったことを知るでしょう。’死’は概念上の様相の変化や移行のひとつを物質世界の人間で表現しただけだからです。

そして、もうひとつ重要なことが、本当の「私」(私の本質)のある場所(視点)を捉えることなのだと思っています。

この視点は、「私」と他者と世界(第3の視点)を内包して観察する目です。

ただしこの目は、前者の3つとは違う次元に存在します。ということは、前者3つと同次元で探しても見つからないし、意識的に扱えません。

ここを扱っていくための鍵になるのが、’能動的な正しい思考を身につけること’なのだと最近、はっきりと分かってきました(これについては、シュタイナーが100年以上も前に既に述べています)。

自我を関与させない直接的な観察する目を養い、そこから純粋なエッセンスのみを取り出す思考です。そして今、私達はこういった思考や態度で、日々の日常生活を通じて’自己’の本質に触れるというステージの始まりにいるのだと感じるのです。

ちなみに、数秘的に本日2019年3月21日は、3/3/3→9 ということで、新しい世界を概念で形成する精神原理の「3」のマスターナンバーゲートの日であり、’サイクルの完了’を意味する「9」になることも留意したい点です。もしかしたら、この3つの「3」は「私」・他者・世界の3つの概念の視点のことを意味しているのかもしれません。

*おまけの話*
この記事の冒頭のイメージピクチャーですが、実はここ最近、自宅や他の場所の部屋の中で、似たような白い蝶々を見ました。蝶々は幸運や変容のシンボルです。白色は全ての可能性を含んでいることを表します。

このブログを通して、概念を共有し合う皆さんにとっても何か心に響くメッセージになるのかもしれないと思い写真を選んでみました。