【水瓶座・新月】人生という幻想を超えた旅への誘(いざな)い

 

こんにちは。いつもご覧頂きありがとうございます。

2月3日の立春から始まった十二節気の新年に入って初めての新月を迎えました。1月13日4:06、水瓶座の新月です。またこの日は旧暦の正月でもある春節でもありますね。

太陽が1月20日以降水瓶座に滞在している「太陽・水瓶座シーズン」真っ只中に加え、月、土星、木星、金星、水星の6天体(主要10天体中)が水瓶座という、まさに「THE・水瓶座の新月」です。

また主要10天体全てがホロスコープの天球下部にあること、また天球左側、特に1ハウスに天体が集中していることや、木星と金星もぴたりと重なり、<わたし>という自我存在を意識の位相を通して調和的かつパワフルに内観することを促すような新月に感じます。

今回の水瓶座・新月について、占星術、数秘術、タロットを通じて私が直観したことをシェアさせて頂きたいと思います。

【数秘&タロット】2021年2月12日→「10(運命の輪)/1(魔術師)」

  • 人智を超えた’普遍的な何か’に出会う。自我を超えた人生の動かし方を体験するレベル。自分がその’普遍的な何か’そのものであるものとして生きる。
  • 自分の中で湧き上がる衝動、情熱、好奇心。受け取ったインスピレーションを実際に形にしようとする能動的な意志。形にするために必要なものは全て整っている。今、始めよ!

【Keys】

●人生とは、宇宙卵が見せる’<わたし>という夢’である
これまで<わたし>だと思い込んでいたあらゆること、その基盤をつくる人格(自我)を外から観る視座をもつことが促されそうなタイミング。それは<わたし>という自我を認識する以前に既に、いつもここにある自分の本質部分(本体)を明確にしていくこと。

私達は、寝ても醒めてもどこまで行っても、いつも同じ2つの穴から覗く自分の前に広がる世界の中で生きていることに気付く。これは自分だけが覗き見ることができる(決して誰も侵入することができない)唯一無二の認識空間だ。

<わたし>という自我意識はこの認識空間の中で生まれ、その中で五感を通じた体感、またそれにより刺激される感情や思考などの体験が<わたし>のリアリティであり、その記憶の集積を人生と呼んでいる。

それはまるで<わたし>の存在、現実、人生とは、各々の’自己’という閉じた宇宙の卵の中で繰り広げられる夢のようなものである。ここでの認識は、宇宙卵の中で観るものが<わたし>の全てであり、それはまた’限界’があることを意味している。

しかし、今回の水瓶座・新月は、

「この宇宙卵の外に出よ!」

と促しているように感じる。

それは決してこれまでの宇宙卵の中での自我をもった人間として<わたし>を否定しているのではなく、これまでの閉じた宇宙卵の小さな穴の中から観る世界が全てだと思っていた<わたし>という限界を超えて宇宙卵の外に出ることで、その<わたし>を外から観ている不動の普遍的な何かが在る、(これまでも実はいつもあったのだ)ということに気づく意識への促しなのではないかと感じる。

というのも、この認識において私達ははじめて自我に無意識に翻弄されない、本当の’能動的な意志’をもつことができるからではないだろうか。

そして、<わたし>はそれを観ている普遍的な何かの個を超えた壮大なものの中においては幻のようなものであるのだから、もはや’死’や’人生’といったものも幻想になることを意味している。

つまり、この新月の位置する水瓶座とは、’自分の存在や人生の本質部分はそれを認識しているその外側の次元で展開されている’という超客観視点をもつことで、制限された意識の視野という自我の檻から自らを解放させることができる私達の中の’自由の精神’のことでもある。

●才能とは感受性のことであり、それを形にするのが仕事(使命)である
なぜ、<わたし>という幻想をつくる宇宙卵が存在しているのかの理由でもあるが、言わば<わたし>の数だけ宇宙卵が存在していることになる。

というのも、宇宙卵とは<わたし>独自の世界の見え方・感じ方という「感受性」のフィルターそのものでもあるからだ。

そして、その感受性で受け取るもののことを’インスピレーション’と呼ぶ。

実際、私達はひとりひとり目の前にあるものを同じように見て、感じて体験しているわけではない。

例えば、目の前に赤いリンゴを誰かと一緒に見ているとしても、各々独自の感受性で五感的要素や個人的な過去の記憶や感情・思考を交えながらそのリンゴを観て感じているわけで、その意味で<わたし>の感受性の数だけりんごの見え方が存在しているということでもある。

この水瓶座・新月は、「すでに所有しているもの、所得能力、才能」などを示す「2ハウス」にある。いわゆる、’お金を稼ぐ(収入を得る)能力・分野’を示すハウスなのだが、’所得能力’などと聞けば何か特別なスキルや能力や尋常でない努力や労力が必要だと感じる人も多いかもしれない。(実際、これまで240年続いたモノを供給・消費し続ける資本主義経済に価値をおいてきた「土」の時代の世界ではそうだった。)

しかし、その才能とは現代社会がつくったシステムの中でお金がより得られるように適応した’やり方’のことに過ぎない。

占星術など形而上学的な意味において、本来の「才能」とは、私達ひとりひとりがもつ’独自の感受性’のことだ。

あなたが存在していることそのものがその唯一無二の感受性の証明なのだからが、’その存在をもって全ての人が才能をもっている’、ということになる。

そして、その才能をもつこと本当の目的は、おそらく、<わたし>という宇宙卵(独自性)を人間活動を通じてこの地上で何かしらの’形’にすることにあるのではないかと感じる。(これはまた、<わたし>という自我の存在理由のひとつでもあるとも言える。)

そして、これこそが本来の占星術の2ハウスでいう所得能力、つまり「仕事」のことなのではないかと思う。

各々の宇宙卵の中で観る世界の感受性をそれぞれのやり方で具現化させること(形する、表現する)が、いわゆる人間が’天職’ないし’使命’と呼んでいるもので、本来、仕事(ライフワーク)とは、言ってみれば「<わたし>という内部世界を外の世界に現す」というシンプルな自然の摂理そのもののことなのではないだろうか。

だからそこには、自分にないものをもっている他人の才能を羨んだり妬んだり、または自分の感受性にない才能を得ようと躍起になって緊張・忍耐・努力を強いる葛藤や苦しみなどは必要ないということになる。

ところで、自分の才能でもある独自の感受性を具体的に形にするための鍵になるのが、感受性のフィルターを通して受け取ったもの=「インスピレーション」だ。

程度の差こそあれ、自分の奥底で何かがざわめき立ったり、揺り動かされたりするような衝動、欲求、情熱、好奇心、ワクワクすることとして自分の中で立ち上がってくるもので、実は毎日、誰もが何らかのインスピレーションを受け取っている。

もしそれに気づけていないのであれば、長年、頑なに自分の理性で蓋をし続けてきたためインスピレーションを受け取っていることにさえ気付かないほど感度が下がっているのかもしれない。

またインスピレーションに対する過剰な期待を持たぬことも大切だ。

それは、はじめは、ほんとに些細でかすかなシグナルだからだ。それは、言葉や意識に上がる前に泡のように消えて流れていく。だから頭が何かの思考や感情でがんじがらめだと、なかなかそれに気付けない。

そして、たとえその小さな薄い膜の泡のようなインスピレーションに気付けたとして、「これが何の意味(価値)があるというのか?何の役にも立たない!」と、間髪入れず理性の横やりが入ることに注意をしなければいけない。

つまり、インスピレーションはボーッとリラックスしたオープンマインドの状態の方が受け取りやすい。そして、運良く受け取れたら、その一見何の価値があるのか分かなくても、それを行動に移してみるということが大事だ(すぐに行動できない場合はメモに残し、それを実行する計画を立ててみる)。

自分の才能をつかってなんとしてでも成功しなければならない、など力む必要などない(それを望むのは勝手だが)。
前述した、宇宙卵を外から観る普遍的な何かにとって、上手くいくか失敗するかは特に意味はなく、感受性を通して受け取ったインスピレーションを形にする体験のプロセス(選択、決断、勇気、思考錯誤、感情体験など)そのものが重要だからだ。

そして面白いことに、「あなたがインスピレーションを受け取ったということは、それを形するのに必要な全てをあなたはすでにもっている」ということでもある。

しかし、それをどのように見つけ出し使いこなすかはミステリーであり、それこそがこの体験の醍醐味ということなのかしれない。

◆ ◆ ◆

この水瓶座・新月は、宇宙卵から何か全く新しい意識の視点(ビジョン)をもった生命が誕生したような、何か壮大で深部から突き上げてくるものを感じます。

いよいよ、これまでの延長線にない<わたし>の未知の新バージョンが始まるのかもしれませんね。

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