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【蟹座・新月】魂の融けた「水」の世界で繋がる絆

この度も当サイトにお立ち寄り頂きありがとうございます。

まずは、この度の豪雨によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。またご自宅を失われた方々におかれましても、一日でも穏やかな日常が取り戻せますよう願ってやみません。

では、この度も月のサイクルの節目である新月・満月について、アストロロジー、数秘、タロット等を通じてインスピレーションを受けたことなどを少し書いてみたい思います。

今回は7月21日2:33amに蟹座・新月となりました。この新月は、先月6月21日の夏至と同日に起きた蟹座・新月(日蝕)に続く今年2回めの蟹座での新月ということで、これは特にこの時期は「蟹のサインのもつテーマ」と、そのルーラーである「月(無意識の領域、女性性)」が重要なテーマとなりそうです。

難しい知識云々は置いておいて、皆さんはこの1ヶ月、特にここ2週間の間はどんなことをココロとカラダで感じて過ごされたでしょうか?

私自身は「蟹座」・「月」・「蝕(先月から全3回起きた)」の世界の中にどっぷり浸かっていた感覚があります。

それは言ってみれば、<私>という自分個人に直接的な原因が見いだせないものと繋がり、深く激しく感情的に振り回され、自分ではどうしようもなくただ受身的でいなければままならない状態です。

そんな状態になるきっかけは、偶然、目にしたり聞いたりしたどこかの誰かの人生の重要ないち場面に触れた時でしょうか。

例えば、全国各地の豪雨被災の映像、野良猫と交流を交わす人の動画、どこかの国の小さな男の子が襲いかかってきた凶暴な大型犬から自らを盾にして妹を助けて酷い傷をお負いながらも「もし誰かが死ななければならないなら、それは自分だと思っていた」というためらいのない言葉、未解決事件となった重要人物の霊が真実を伝えにやってきたというミディアムの話、才能溢れる真面目な好青年そのものである有名な若い俳優が自宅で自らの命を絶ったという知らせなど。

それは、<私>自身と個人的には何の認識も繋がりもない人達と時間や場所を超えて、今、共に心を震わせ、悲しみに涙し、絶望し、励まし、安堵するといった感情を共有する体験です。

  • <私>という領域は肉体を超えた見えない部分にもあるということ
  • そこでは心(感情や感覚)を通じて「他者」と当たり前のように繋がっているということ
  • だから、本当は他者との繋がりに物理的な制限(時間や場所)は関係がないということ(むしろ、物理的な繋がりに固執するのは心の繋がりが感じられないからかもしれない。)
  • 究極のところ、<私>の世界で他者として現れる存在もまた自分なのだと。つまり、<あなた>は<私>なのだということ。(但し、他者は自分で認識できていない自分の潜在化した部分である。)

その意味で、心の世界(=月、蟹座)とは、個々の魂が融けた「水」の世界そのものであり、その魂の記憶と意識が交差するポイント(蝕)で、私達は<私>の見えていない半分側として、この世界で他者と出会っているのかもしれません。そして、その他者との出会いは夢の中でも、イマジネーションの産物であっても同じなのでしょう。

「実在していない」は、ただこの物理世界で現象化されていないというだけで、それはいつも心の世界、つまり見えない潜在化された世界には存在しているのだと思うのです。そして、前者の現象化された見える世界を「生の世界」と呼び、後者の潜在化された見えない世界を「死の世界」と呼んでいるのであって、その意味においては、自分とは生と死のそれぞれの世界に今、存在していると言えるのではないでしょうか(肉体=生の世界、心や精神=死の世界)。

どうしても肉体としての自分のみに意識を向けると「死」を恐れたり、悲しんだりしてしまいがちですが、私達は「生」と「死」の2つの世界に存在しているという意味において、これらに優劣や善悪などなく同等であるということ。そして、生の世界は物理的な制限と「私」とそれ以外を分ける分離の世界であるのに対し、死の世界は形を待たないため時空を超えた永遠の中で全てと繋がる世界であるということ。そして、「生」は「死の世界」から生み出されているということ。

・・・を知っていたら、’死は闇雲に恐れるものなのでしょうか?’

いろんな意味でこの時期にデリケートなテーマであることは承知の上で、だからこそ、私達が必ず向き合っていく必要がある大事なテーマであると思っています。

というのも、死の恐れのために人間は「生の世界」で自分の魂に沿った生き方(本当の自分を生きること)を困難にすることが多々あるように思うからです。

「生の世界」で生きている自分は、「死の世界」に生きている自分と常に連動しています。死の世界、つまり自分の魂や心のある世界と、肉体をもって生きる自分の現実世界とにギャップがあるところに’葛藤と苦しみ’が生まれるようです。

制限のない永遠の中で全てと繋がっている、自分の中の「死の世界」を認識することは、本当の意味で「死なない」という絶対的な信頼と安心の中で「生の世界」を思う存分に自分を生きられるという精神的基盤ができることであり、それがあってはじめて健全な自己受容、自己価値、自尊心、誇り、自信をもつことができ、人生という果実を味わい、自分の才能を開花させ自己実現する醍醐味を体験できるのかもしれません。(もちろん、葛藤や苦しみも人生の果実であり、それが大きな気付きや成長の糧になり得るので否定されるものではありません。)

少し重たい話になってしまいましたが、この新月は「自己価値や才能を活かして社会に役立てることで行動し自立すること」であったり、「自分軸をもって自分らしく生きていくこと」もテーマになる新月ではあるのですが、それを根底で支えているのが「蟹座・月」のもつ女性性(受動性、感情、情緒、感覚、無意識、死)といった部分であり、それは男性性(理性、理論、理屈、秩序)でコントロールできるものではないと感じたので、個人的な見解ですがシェアをさせて頂きました。

さて、23日からは自己意識を表す「太陽」が最も輝きを増す「獅子座」のシーズンへ突入しますよ〜。