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前回10月31日の牡牛座・満月から早15日、また次の「新月」がやってまいりました。
皆さん、この間、体感や心と身体の状態などどんな感じでしたしょうか?
個人的には、特にここ1週間は’何か深く内に働きかけるような集中的な圧’を感じることが多く、それによる体の重さや疲労感はあったものの、しかし、自分の感情や思考にとても意識的でいられた感じでした。
それは、今、太陽が蠍座にいるということに加えて、
というものも関係していたのかもしれません。
ちなみに私は今週「1111」のゾロ目をよく目撃するのですが、今月の数字「11」もキーポイントなのではないかと感じています。
「1111」にしても「11」にしても、そのコアとなる数字「1」の「<私>の能動的意志(男性原理)」という基本的な性質をどのように取り扱っていくかということなのかもしれません。
その中で迎える新月は、11月15日14:07に蠍座で起こりました。
それでは見えていない部分の深い洞察や霊的直観の性質をもつ蠍座のエネルギーを使って、この「蠍座・新月」についてご一緒に観ていきましょう。
■能動的意志による「完全なる受容性」
この新月は、月と太陽共に蠍座、そして蠍座のナチュラルハウスである8ハウスで起こりました。
またこの日は数秘で「12」で、タロットのアーキタイプは「吊るされた男」。
それは「完全なる受容性」を表します。
受容性は’あるがままに受け入れる、委ねる’ということ。これは受け身とは違います。
かつて、ヘラクレイトスが「人は同じ川に二度、入ることはできない」と言ったように、人生とは一度として同じ流れの向きや形をもつことなく絶え間なく流れ続ける川のようなものであり、それが常に流転し続ける変化の中にあります。
自分の意志や力でどうすることもできないものに出くわした時、それを自分で何とかしようともがき苦しむのではなく、自分をその大河の流れに’意識的に’身を任せることが、実は自分の精神を自由にさせることになるのだということなのだと思います。
そして、自分の頭で想像する限りのある予定調和を越えて、この川は私達をまだ見たことのない未知の世界に運び込んでくれるしょう。
■世界の中に融かされた自分
蠍座が受け持つ心の世界は、時間も空間も、物質的制限も超えて’全てとひとつに繋がる’世界。それは、環境や状況に応じて形を変えながらも循環し続ける「水の世界」です。
そして、蠍座は自分の生命エネルギーを自分の全てを失っても良いという究極の点に自らの心を通じて繋がります。
<私>という自我意識をもつ私達が自分のものであると信じている、自分の体や心、自分の人生、自分の命とは、本当は自分のものではないということを感じられるのは’心の世界’なのだということなのでしょう。
人生を紡いでいるように思えるこの世界もまた流転する川の反映であり、<私>とはその川の溶け込んだ水そのものということでしょうか。
■他者との縁と霊的繋がり
世界に融かされている自分自身を知る最も大事な鍵となるのが、自分の人生の中に現れる人達との出会いです。
人との出会いは、その人と出会おうと思って出会えるわけではありませんし、そもそも私達は出会う前からそのような人が存在していることすらも知りません。
ここにも自分の人生だと思っていたものが、自分の意志や行動で形成されているものではないことをリマインドさせられます。
たしかに、あなたはあの日、あの時、あの場所へ行くと決めてそうしたからその人と出会ったのかもしれませんが、まずその日が存在し、その時間やその場所という状況、状態、タイミングが揃っていたのはなぜですか?それはあなたが全て一人で準備できるものではなく、この世界があなたがその人と出会えるように、その人と魂で約束した体験ができるように世界があなたのために用意してくれたのではないでしょうか?
蠍座のエネルギーは自分の世界に現れる他者との縁、人間個人の自我意識を超えた霊的な繋がりについて、私達に意識的な気づきを促します。
おそらくその深遠な秘密を理解するのに、前述したように、<私>という自分は常に変化し続け、実は全ての中に融け込んでいる心の世界に在るのだということを知ることが大事なのだと思います。
すると、自分の目の前に現れる他者とは自分とは心の世界において分離したものではなく、むしろひとつのものであり、それは論理的知性では理解できない自分の無意識の影として観ることができるのかもしれません。
■日常生活の目の前に現実に浸透している自分の心の世界に意識的になる
深遠な心の世界を洞察する蠍座のエネルギーを活用するヒントが、ホロスコープ上で蠍座の反対側に位置する「牡牛座のエネルギー」を活用することだと思います。
蠍座が心の世界で観て受け取ったものは全て、私達が目の前に見ている日常の景色の中に融け込んでいます。
牡牛座のもつ物質的な現実世界で、自分の肉体や五感を通して体感する、自我的思考を通さない純粋な体験そのものに心の世界が表れ、その体験を感受している記憶の持続の中に、本当の自分のいる場所(本質的自己)を発見するのだと思います。
それを認識したならば、相変わらず肉体を通して<私>という個の自我意識を持ちながらも、同時にその<私>に物質世界での体験のための舞台を用意している世界に融け込んだ自己の本質の在り処を見失わず生きることができるのではないのでしょうか。
そんな風に生きる日常はもう1日とて同じものはない新鮮な瞬間の連なりであり、そしてその特別な日々の積み重ねが人生そのものですよね。
というわけで、この蠍座の新月は、<私>を始点にした世界の見え方を反転させて、世界の側、自分の無意識の中にいる本当の自分から観た<私>というものに意識を向けるということがテーマになっています。
特に、毎回、新月の自分の願い、自分が引き寄せたいことをセットアップしている人にとっては、この新月のテーマは’自分の意志’がストレートに発揮しにくい感じがするかもしれませんが、その自分の願いや望むものと思っているものの本当の意味について内観するととても大きな気付きがあると思います。
また今年の12月22日に水瓶座からいよいよ始まる「風」の時代に向けて、物質世界の社会的概念に翻弄されながら分離肥大し続けてきた私達の自我が一度、解体されるのに、この蠍座・新月のプロセスは完璧な流れにあることを感じます。
私達がやることは、ただそれを信頼してリラックスして委ねることなのでしょうね。というのも、私達はその流れそのものなのですから。