自然療法、クリスタル、アロマテラピー、フラワーエッセンス、カラーセラピー、オラクルカード、占星術、タロットカード、ネイチャーマジックなどの講座、ワークショップ、セッションを提供するサロン&ショップです。

【牡牛座・新月】他者と一体化する見えない影の正体

皆さん、こんにちは。外出自粛の中、メンタルの面も含めて、元気にお過ごしでしょうか?

こんな中でも命を張って過酷な環境の中で治療にあたっていらっしゃる医療従事者の方々や、生活物資のパイプラインを維持してくださっている物流業界の方々には本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます。

こういった方々に少しでも負担がかからないよう、自分でできることを最大限やって、皆でお互いに支え合ってやっていくことが大切であると感じる毎日です。

さて、本来でしたら当サロンでも今週から新講座が開講している予定でしたが、急遽、延期とさせて頂いております。現在、新たな日程を調整中しておりますので、お申込みを頂いている皆様、もう少しお待ち下さいませ。

そんな状況ではありますが、本日4月23日11:26に牡牛座で新月を迎えました。

今回も新月について、占星術、数秘、タロットなどから受け取るインスピレーションを通して個人的に感じとったことなどをシェアさせて頂きたいと思います。

と、その前に。

ここで記事を書く時はいつもそうなのですが、特に現時点で沢山の考えや思いが湧き上がってきて、それを全部書こうと思うと大変なことになりそうなので(^^;)、今回はこの’牡牛座’のもつ性質にスポットを当てながら書いてみたいと思います。

この新月のホロスコープは、牡牛座のもっている、物質的次元に自己の存在意義(アイデンティティー)や自己価値をおくというあり方が、天王星によってあっという間にひっくり返されているのを誰もが目撃している状況そのものをまさに表しているように思えます。

私達人間にとって牡牛座のもつ性質には、まず自分の肉体が五感を通じて受け取る体感があります。つまり、目で見たり、匂いを嗅いだり、音を聞いたり、食べたり、触れるということを介して快・不快を感じたり、また感じることを享受する体験そのものでもあります。

しかし、これを成立させるにはある前提条件が存在します。

それは、

  • <私>は肉体という物体の中に存在しているという自我意識
  • 体感は、肉体である<私>と、見えたり捉えたりすることができる物質的な存在との刺激によって生ずるということ
  • 物質意識に埋没した<私>と、その体感を通じてとらえた物質は互いの物質的側面としての存在を強化する

です。この牡牛座のもたらす体感は、気がつけば私達人間にとって当たり前すぎて自分の中の無意識的な部分になってしまっていますが、こういう部分が、実は本来は漠然としている概念にすぎない<私>という意識のリアリティーを自動的に強化していたりします。(気が付かないうちに、当たり前に「私」だと思う部分をつくっているということです。)

そして、この無意識な体感の感覚は自然な流れとして、人間の物質意識そのものを強化していきます。

その最たるものが、<私>が肉体であるならば(または自分の意識は肉体の中にあるという感覚)、この肉体の不具合=病気、肉体の崩壊・損失=死ということであり、’病気や死が<私>という存在の終わり’という感覚です。

だから、病気(ないし老化)や死を最も恐れ、それをできるだけ避けるために、<私>という肉体が身を置く環境の物理的な安定と持続というものを求めるのも牡牛座の精神の領域になります。

これが社会の構造・システムに発展したのが、言わずもがな金融経済のシステムです。

より優れて上質で安定した快適な衣食住やライフスタイルを求めるのは、肉体としての<私>が心地よく生きるためにしごく当然な欲求なのですが、ものごとの摂理はいつも背後に対極的な要素がそれそのものを成立させ、バランスさせるために存在しています。

しかし、隠れた対極的な要素と、それとのバランスを見失うと、一方の性質に偏ったものに暴走してそこから抜けられなくなってしまいます。

そういう意味で、今回の新月が起きた牡牛座にいる天王星などのようなトランスサタニアンと呼ばれる天体は、この一方に偏って停滞して出られなくなってしまった負のループを一度、破壊して再構成するための機会をもたらしてくれるものと言えます。

つまりこのことは同時に、トランスサタニアンの天体がいる12サインの領域は停滞しているから一度、破壊する必要がある部分だとも言えるのかもしれません。

この観点でみた牡牛座の領域の偏屈して停滞したものがもたらすものに

  • 目で見えて触れるものでなければ認識できない、理解できない、信じない
  • 自己存在を揺るがすと信じている老化、病気、死に対する過剰な恐怖、またそこから逃れることに必死になる
  • 自己存在や自己価値の対価としての物欲や所有欲、また実際に物質化(消費活動)すること
  • 自分自身が信頼していない自己存在や自己価値の判断を他者に委ねる
  • 誰かがつくった認識することができるものの価値がずっと安定して続くと信じている

といったことがあるのではないかなと思っています。

でも、こういうことは(特に誰かが言ったことを)頭で理解するというより、私達一人ひとりの中で感じる言葉にはならないよく分からないけどザワザワする感じ(実はこれこそ牡牛座の高次の体感感覚)などを通じて、個々で自分なりに内的に落とし込むところなのだと思います。

例えば、牡牛座的性質を介して自分の現実をみたときに、

  • <私>は本当に肉体そのもの、または肉体の中にいるのだろうか。
  • 肉体としての<私>は、体感を通じて認識している物質的な世界に本当に存在しているのだろうか。
  • <私>の本質は本当はどこにあるのか。そして、それは何なのか。

といった問いが自分の中に出てきたのならば、それはすべて、今、ここで自分が見ているものの中に答えがあるということ。それどころか、そこにしか答えがないのだとすら思うのです。

ここで、この牡牛座的視点で今、世の中を圧倒的に騒然とさせているウイルスという存在の意味について考えてみると、とても興味深いことに気付かされます。

それは、ウイルスを物質的な病原体として以外の可能性をすべて断ち切ってしまったら見えてこない認識です。

今、人間の世界ではソーシャル・ディスタンスや三密を避けることが求められ、あらゆるところで他者との物理的な繋がりが分断されている状態の中、ウイルスはすんなりと宿主なる他者の細胞の中に入って行き、自らをその他者の一部として一体化してしまいます。

知っている方もおられると思いますが、ウイルスは半生物の存在です。その実体は遺伝子情報だけを内包したタンパク質の殻であり、その状態では生き物ではありません。つまり、生命活動をしていない物体なのです。

しかし、ウイルスがいったん、宿主の細胞に入って自分の遺伝子を組み込んで一体化する(感染する)と、生命活動をする生物に変容するのです。

更に面白いことに、生命活動をしていない無生物の時は電子顕微鏡で物体としてのウイルスの姿を見ることができるのですが、宿主に感染して生命活動をしている時はウイルスの姿が見えなくなるのです。

つまり、ウイルスというのは

  • 物質的個体が保持され見える状態の時→生きていない(死の世界)
  • 物質的個体が消失して見えない状態の時→生きている(生の世界)

ということなのです。

今、この時期に(物質意識に埋没した自我を<私>とする)牡牛座に天王星がある意味がなんとなく見えてきませんか?

そして、これって本当にウイルスについてだけに言える話なのでしょうか?

・・・そして、そもそもこんなことを私達に見せてくれているウイルスの存在の意味とは何なのでしょう?

こんな問いが目の前に飛び込んできたこの牡牛座の新月は、皆さんの意識の中にまた何か新しい種が組み込まれたに違いありません(笑)。

最後に・・・

人間が病原体として出会ってしまったウイルスは悪いものだから排除すべきだ、と簡単に片付けられる話なのでしょうか。

人間の遺伝子の一部は実はウイルス由来であるということが既に分かっているのに?

それどころか、人間の生物学的能力の進化にウイルスが関わっていることも科学的にも証明されてしまっているのに?

ウイルスという存在は、裸眼で見ることができない、どこかとらえどころがない極小微生物ということになっていますが、本当は私達の意識の中で、それは相容れない最も恐れているものが反映された影のようなものなのかもしれません。

6+
error: Content is protected !!