いよいよ・・・。日蝕&秋分以降の世界

あの日を境に自分や世界を感じとっている前提の何かが違う。

いや本当はあの日より前がどんなだったか、その記憶はもう曖昧だ。

その代わり、今、目の前に立ち現れている現実世界の表層の下にある何かを思い出しているような。
自分が経験したことのない感覚を通じて・・・。

 

「アストロロジー(占星学)を、私たちの人間の意識構造を幾何学(形)に変換させて現実を具現化させる宇宙のテクノロジー」ととらえるならば、9月22日の乙女座の部分日蝕と9月23日の秋分という二日連続で起きた重要な天体イベントのホロスコープには、なかなか見られないとても希少な幾何学がびっしりと描かれていた。

9月22日の部分日蝕(乙女座・新月)のホロスコープ

9月23日の秋分のホロスコープ

これは一体、何を意味するのだろう?

そして、日蝕も秋分も共に、ここから約半年かけて影響する重要な節目となる。
これが2日続けて起きていることから、これより前には”もう戻らない、もう戻れない”という時空間の切替えのポータルのようなもの。

ここからいよいよ・・・ということなのか。

さらに、8月29日から11月23日まで(強力な影響期間9月11日から11月9日まで)、冥王星が太陽系の秩序の枠組みを越える「アウト・オブ・バウンズ」と呼ばれる、70年に一度の大変、珍しい天文学的な現象期間にある。

これは文字通り、冥王星がリミッターを外した「規格外(別バージョン)の発動」を強烈に促す。

冥王星が絡んでいるだけに、今まで無意識の自動運転のパターンの中で生かされていた、”これが自分だと思っていた自分”が根底から破壊され、幽閉されていた魂の解放と変容が予感される。

それは新しい存在としての自分の純粋性が芽吹く、いわば“「本当の自分」の生まれ変わり”のことだ。

ただし、それは自己の純粋性からくる自分の心の中に完全に飛び込んだ者にだけ起こる。

そうでないところからどんなに素晴らしく思える理想を掲げても冥王星が粉々に打ち砕く。

社会的な役割としてではなく、純粋存在としての自分を取り戻すために

この日蝕と秋分の前後から自分の中で今までとは何か違う感覚はあるだろうか?
もしかしたら、目の前の自分の現実を今までとは全く違ったものとしてその変化を感じとるようになるのかもしれない

秋分の節目は、自己意識を表す太陽が天秤座0度に入るタイミングであり、その天秤座というのは”他者との結びつき”を表す。

自分の世界に現れる’他者’は、この時空間に自分の肉体と同様に別の肉体を持った’他人’という単なる対象なのだろうか?

他者との関係性を通じて、そこから見出したもの、感じとったものは、本当は自分自身のことなのではないか?(自分が見ている他者は自分自身であって、その他者そのものではない。)

’わたし’という自己の存在と本質的に支え合っている他者という存在の認識について、ここから私たち人間の意識が全く新しい視座を開いていく予感がする。