【秋分】反転が始まる天と地の結び

占星学的な1年のサイクルの始まりである春分から半年が経った9月22日に秋分を迎えました。

ホロスコープで見れば、それは自分の内側の世界から自分の外側の世界へ出るタイミングです。

そして、自分の中の2つ対極する性質(陰陽)が全く同じ力でピタッと均衡をとるこの時に内部で形成されるポータルが2つの次元異なる世界を繋げるのがお彼岸です。

占星学で秋分のホロスコープは冬至までの3ヶ月の流れを読むのですが、この秋分から現実的な状況においても、私たちの意識においてもここから強烈な変化の兆しがあります。

これまでの常識的な概念が根底からひっくり返されて、どうあがいても今までのままを続けていくことはできなくなるような変容を促されていきそうです。

秋分(9月22日21:44)

本当の自分が生きる新しい未来が開かれている

ここまでの新月や満月の流れの中で、「自分が本当は何を望んでいるのか」、「どんな風に生きたいと思っているのか」、「自分にとって最高の人生とは?」ということを明確にしてきただろうか。

ここで問われているのは、「自分という生命の火をどのように燃やし尽くして人生を全うするか?」といった生きることの根源的な動機であり、自分の魂の欲望のことだ。

ここから人間意識をつくっている精神の方向性が反転していく。これが新時代の意味すること。

これまでの直線的な過去ー現在ー未来の時間軸上で成立してきた「原因と結果の法則」の延長上にこのまま未来へ続くわけではない(それは単なる数字で表示される概念的な時間に過ぎない)。

私たちの存在の本質は、時空の外の永遠性そのもの

だから、過去がどうだったとか、現状がどうであるかというのと、本当の自分の未来は別の次元。

直線的時間の幻想に惑わされず、今の自分の心の目で見る夢やビジョンが大事。

魂の本質そのものを表す自分の中の冥王星は、曇りなき心眼で魂の望みだけを人生の中で命懸けで実現しようとする(冥王星にとってそれが人生を生きる意味そのものだから)。

今、冥王星は、私たちが望む生き方だと言っているものへの真価に容赦ない徹底的な審判を下そうとしている。

しかしこれは冥王星の恩寵だ。ここで冥王星が審判を下さなかったら、魂の目指す方向性に一致しないものはこの先へ進むことができないことを知っているから。

ここで今一度、自分自身に真剣に問うてみたい。

「本当はあなたはどう生きたいのですか?」
「あなたは何をするために生まれてきたのですか?」

条件付きの存在価値の呪縛を解き放て

本当の自分の未来を開くということは、それに一致しない自分の状態をつくっているものを手放す、終わらせるということでもある。

本当は良いと思っていないこと。いつか対峙しなければいけないと先送りしてきたこと。これを維持していくのは本当はしんどくて限界を感じていること・・・・等。

これらは自分の心が既に疲弊しているため、覚悟さえ決まれば断捨離することは決して難しくないだろう(決して簡単でもないが)。

それより多くの人にとって最大の難所は、「自分は‘これ’があるから存在することを認められている、生きている価値がある、必要とされる、愛される」と自分の存在意義の拠り所にしてきた誉れとなる社会的なアイデンティティを手放さないといけない場合だ。それは自分のプライドでもあり、自尊心にもなること。

土の時代の終焉の渦中にあって、その最後の砦は山羊座・冥王星が築き上げた鉄壁の城ともいうべき社会システムの構造。

この社会構造の価値基準でラベリングされたアイデンティティだけが自分であると思い込んでいると、この社会構造の崩壊や変化と共に、自分の存在が危ぶまれる。

それは多くの人にとって、‘死ぬほど恐い’ことだ。

こうやって私たちに何かしら「死」を意識させる強烈な圧をかけてくるのが冥王星。

「死ぬほど苦しい」、「〜なるぐらいなら死んだ方がまし」というような類の容赦ない追い込みだ。

冥王星は残忍なのだろうか?

いや、ここで冥王星がやっていることは「エゴ(自我)殺し」なのである。

私たちが強烈に恐怖を感じて動けなくなっている時は、幻想の中でエゴに根っこを掴まれている時だ。魂の自分を忘れて。

それを炙り出してくれているのが冥王星。だから、これを逆手にとって、むしろ自分が一番恐れを感じていることこそ飛び込むことで、エゴに囚われてきた自分自身を救済することができる。勇気とはこのためにある。

古いエネルギーを手放す(死/破壊)ことによってしか新しいエネルギーを入れる(再生)ことができない。

決意することで2つの世界の調和を見つける

自分で「決めること」から全てが始まる。

決めることは、強度を生み、方向性を定める。自分の中の理念という判断基準(軸)をつくるのだ。

ブッダの言葉にあるように、自分という存在は、結局のところ自らを自らの拠り所にしている

自分は何を望み実現したいのかを明確にし、そのための目標を決めて、選択して、動いていくことで自分の人生を生きることができ、そして、自らをあらゆる束縛から自由にすることができる。

この秋分は、自分の軸で決めたことによって、「スピリット(魂)」と「自我(肉体)」が調和する交差点を見つけることをサポートする。

それは「魂としての自己」と「<わたし>という自我」の2つの世界の中で生きる人間として、そして、「社会的個としての自分」と「精神的個としての自分」を2つの世界の領域にまたがる自分として、調和的に生きる在り方を示唆している。

そのために、決めなければいけない。

決めることは対極する2つの世界を統合するための自我を超えたメタ視点をつくる。

ただし、この段階で決めたことはもう覆らない。後戻りできない。覚悟と責任が伴う。

何かを選ぶということは、何かを選ばないことでもある。

ここから更に激しくなることが予想されるカオティックな情報の洪水に流されないように。

答えはいつも自分の中にしかないこと。そして、自分が決断して選択したことが最善であることを信じて。

魂の約束〜<わたし>と<あなた>の心の結び

ここまで<わたし>の心がつくったものを渡すために、地上に姿を現した<あなた>に会いにいく。

<わたし>は自分の心がつくったものを直接、見ることができないけれど、それを受け取ってくれた<あなた>を通して<わたし>はそれを知る。

<あなた>が自分の心を<わたし>にくれたから。

<わたし>と<あなた>は、この地上において過去に何度も生まれ変わって、姿は変われど必ず出会い、お互いの心を交わし合ってきた。

本当は、<わたし>と<あなた>の心はひとつでしかなく、一度も離れ離れになったことがない永遠の双子の魂だ。

その記憶があるから、地上でお互いがどんな姿であっても、また時に姿がなくても、<わたし>と<あなた>は出会う。

それは魂の約束(結び)だから。

お彼岸のこの時、時空を超えて多次元的な<わたし>と<あなた>の結びの重なりを体験をするのかもしれない。