(春分を越えて)言葉が受肉した’わたし’の融解

・・・・そうして、いつものように意識と無意識の交差路に差し掛かろうとしていたまさにその時、
天使がやってきて尋ねてきた。

「名前は?」

その透明な声は”わたし”の内奥の全次元の層を精妙に震わせながら貫いた。

名とは「自分が何者であるか」を表す。
だから”名を名乗る”という行為は、
「自分という存在の表現」を全宇宙に表明することと同じことである。

今年2026年は年を明けて早々から占星学的な観点から見て人類史上レベルの大転換を示唆する星の動きが続々と起こる年だ。

これから人間が乗り越えていくことになるであろう大転換を加速させる布石が着々と打たれていっているその驚異的な完璧さに興奮と感動で震える。
(ここでいうその大転換とは、これから今までの世界の社会システムや常識、あらゆる価値観が大きく変わるとかいうようなレベルの話ではない。)

その布石のひとつは、2月21日海王星と土星の牡羊座0度で合(約6000年ぶり)、そこに太陽がイングレスした3月20日の春分では3天体が牡羊座で合、金星·キロン·月を合わせた6天体が牡羊座に集中したことだろう。

土星は、固着と制限の性質をもつ。一方、海王星は、境界や構造の融解の性質をもつ。

土星の固着は”言葉”によって為される。

言葉は概念をつくり、それが私たちの肉体もつくった。逆説的に言えば、”肉体”という概念が無ければそれは存在しないということでもある。

神は言葉と肉体を人間に与えたと同時に、またそれらによって人間を幽閉した。

これが「人間は受肉したロゴス(言葉)である」というイエスの言葉の真意だ。

さらに言葉というのは私たち人間を閉じ込める時空をもつくった。

これが世界に「制限」や「限界」がもたらされた根源的な原因だ。(”世界”という箱庭的な概念自体が既に制限的である。)

・・・そして驚くことに、この制限の世界が「わたし」をつくり、「わたし」がこの制限のある世界を強固しているのだ。

「わたし」とは自分の外にある言葉によって、社会的な顔と名を獲得し、誰かや何かに形容されたラベルを貼り付けてできた”人格”のことであり、一般に、これが自分のアイデンティティーとされている。

前述した海王星と土星の合は、これまでこれが自分であると思っていた「わたし」のアイデンティティーをつくっているラベルされた言葉(土星)が海王星によって融解されるのではないだろうか。

・・・つまりは、自分の外にある言葉(ロゴス)によって受肉された「わたし」の崩壊である。

 

言葉は本質的に2種類ある。
これは「言葉には2つの方向性がある」とも言い換えられる。

牡羊座の火(霊)は自分の内から発露する純粋な言葉で「”わたし”とは何者か」を語る。

それは、世界のどこにもない、誰かに承認される必要もない、”自分だけの特別な言葉”だ。

これが前述した自分の外から拾ってきて自分に貼り付けたラベルの言葉との違いだ。

この2種類の言葉の差異を認識せずして語る”ありのままの自分”とは何者だと言えるのか?

「名前は?」

さあ、冒頭の天使の問いかけに何と答えよう?

名は自分という存在の本質を表現する言葉。
それは”自分だけの特別な言葉”で表明されるべきものだ。

「わたし」とは、未だかつて創造されたことのない唯一無二のものを創造する宇宙の可能性の種子なのだから。