【牡羊座・満月】力の意志をもつことは人生の王である
タイムリーな天体イベントに関連した当ブログ記事の更新が遅れ気味なのは一見、いつものことながら、しかし、今回は不思議な状況と流れの中でこれを書いています。
実は今回の記事は珍しく少し早めに準備ができていたのにも関わらず更新ができない状況になり、その代わりに日を改めて別の記事を書くことにしたのです。
10月12日に冥王星が順行に戻り、11月20日から水瓶座入りするの新時代の本格的な切り替えへ向けて、山羊座で過去16年間の最後の総仕上げのカウントダウンが始まりました。
もう少し大きなサイクルで捉えると、人間の意識が主軸をおいてきた唯物論的な世界観を象徴する「土の時代」の約200年が完全に終焉しようとしています。(冥王星の水瓶座入りに至っては約250年ぶりになります。)
この激動の運命的な転換期の最中、これまで当たり前のこととして長く続いてきたものが、もう今までのようには立ち行かなくなってきているのを、個人レベルでも、社会レベルでも目の当たりにしている人も多いのではないでしょうか。
私の個人的な感覚では、ここ最近ますます、土の時代の価値観に基づいた正義で自分自身を納得させようとしても、頭は集中力が散漫になり、心と体は全く動いてくれなくなりました(笑)。
その代わりに、頭であれこれ小賢しくコントロールしようとせずに心と体の声だけに従っていると、想像していなかったような形で物事がなぜか上手くいく、タイミングが絶妙で完璧、日常的に小さなミラクルが頻発するのです。
自分の心と体の状態と、目の前に立ち現れる人たち、起きる出来事、展開されていく状況がそのまま連動しているようです。
これまでの「土の時代」で物質世界に心が反映(具現化)するまでにかかったタイムラグが確実に短くなってきている感じがします。
反面、論理的思考で動いても心と体が同調していなければ事が運ばないのです。
これがこの冒頭で書いたことの真意です。
準備して予定していたことを断念しなければいけなくなった時に、不平不満を言ったり、何とかしてこれをリカバーできないかと執着する代わりに、「まあ、いっか。」と軽やかに気持ちを切り替えて、予定外の展開に委ねてみることにしたのです。
これからどうなるか全く分からないのに、なぜか心は穏やかで少しワクワクさえしているのを感じながら。
それは無意識の世界に完全にオープンになり、そこからやってくる未知の新しい音とリズムに合わせて踊る創造的な宇宙のダンスです。
一見、問題が起きたように思える時こそ潔くサレンダーする。思い切って執着を手放してみる。
すると、命の躍動としての自分という純粋性だけが在るということに気づく。
今回の牡羊座・満月ならびこの時期のホロスコープを見るにつけ、論理的思考で解釈して理路整然と解説するという次元を凌駕しているように感じたため、今回はこのような形で書いてみました。
記事が更新されたこのタイミングもきっと私たちの認識を超えたところからみたら完璧なのでしょう。
今回はいつもと違って牡羊座・満月に関して、創造的な宇宙のダンスを通して無意識の世界から受け取った直観的なキーメッセージを書いてみようと思います。
〜牡羊座・満月(10月18日)〜
牡羊座のエネルギーは原初の火、スピリット、純粋な「生」そのものを表し、そしてそれは私たちの「力の意志」になる。
生命を躍動させている根源的な原理は、生命をただ維持しようとする本能ではなく、自分の生命を放出したいという欲望である。(ニーチェ)
生きることとは、ただ生物学的に生きていることではない。自分の力を放出するために生きている。
誰もが内に秘めた可能性の種を内包しており、それを開花させるために体験する大いなる苦悩を乗り越えようと諦めずにもがき続けることが魂を強くし、生命を輝かせる。
そのためには自分の欲望を満たすための力、自分の価値観やスタイルを貫き通す強さが要求される。
この世界で自分の「生」の純粋性を守る賢さと狂気と情熱も。
常識や道徳が本来の私たちの自由な精神を抑圧し閉じ込める呪縛になっている。
ある時ある場所で多くの人が信じている価値観が必ずしも正しいわけではない。
実際、これらはとても流動的であり、そこでの社会的価値観は時代と共に変化し移り変わるものだ。
そして、真に価値あるものは簡単に人から認められたり、正しく理解されないことが常である。
しかし誰かが作った価値基準の盲目的な奴隷になれば、それは自ら「力の意志」を放棄することであり、やがて無気力になり堕落する。
自分の人生の王国の王である者は、あらゆる価値を決定するのは自分であることを知っている。
また事物に栄誉を与えるのも自分であると考えるため、他人から認められることも必要としない。
自分にとっての感覚や感受性を大切にし、自分のやり方を確立する。
自分の性質、外見、ありのままの自分であることの全てを愛し、自分にないものを欲しがったり、他と比べたりしない。
虚栄心ではなく、自負心によって生きる。
独自の新たな価値基準を自ら作り出そうとし、自分の周りにある全てのものを慈しみ尊重する。
厳しい試練や過酷な状況を魂の鍛錬のための恩寵ととらえ、それを利用し尽くして勇敢で創造的な生き方と自己超越を目指し続ける。
自分の純粋性を保つために深い孤独を受け入れている。
そして、何よりも自分が人生の王であることを確信していることだ。