【牡牛座・満月】魂からの欲望を体現する本当の人生へ

11月15日に土星が順行に戻った直後で、11月20日に冥王星が水瓶座入りする新時代幕開けの直前である、11月16日6:29に牡牛座・満月となりました。

これから起こる「土の時代」から「風の時代」への移行は、社会から個の時代への移行でもあります。

「豊穣の満月」とも呼ばれている今回の牡牛座・満月において、私たちの意識がフォーカスされるであろうテーマについて、占星術、数秘、タロットなど形而上的な観点から直観したことをシェアさせて頂きたいと思います。

〜牡牛座・満月(11月16日)〜

 

自己価値の認識を反転させる

今までは多くの人が信じた共通の価値基準(社会的な常識など)という他者軸で、誰もが否応なく自己価値観を植え付けられてきた。

これに対してこれまでは個人や小さなコミュニティがどんなに立ち向かおうとしても、社会はそういった価値基準が前提として成り立っていることであったり、個人的な生活においてもそれを取り巻く家庭環境や身近な人間関係の全てにおいて世代を超えたカルマ的な慣習や価値観といった集合意識レベルでの強烈な呪縛によって制限され、それに抗うことなど不可能のように感じられた。

この共通の価値基準は必ず「優劣」を生む。

「より優れたものがより価値がある」

という中で、より良いものを目指し切磋琢磨し鍛錬することで文明の成長や発展につながり物質的な豊かさを作ってきた側面、評価主義、比較、競争、奪い合い、弱肉強食、エリート主義、支配構造などによる抑圧とエゴ(利己的自我)の助長に私たちは翻弄され、葛藤してきたのではないだろうか。

文明の切り替えの大転換期のこのタイミングで牡牛座・満月は私たちに問いかける。

「あなたの本当の価値とは何なのか?」

自分の価値は自分の外の誰かの価値基準によって決まるものなのだろうか?

あなたは、本当に他者の価値基準を満たさなければ価値がないのか。

もしそうであれば、地上に生まれた赤ちゃんには何の価値もないということになる。

しかし、赤ちゃんは無条件に人から愛され、世話をされ、ありのままの受け入れられている。

つまり、その存在価値だけで生きているのだ。

であれば、赤ちゃんとして生まれた私たちも同じなのではないだろうか。

本来、私たちの誰もが‘自分の存在価値だけで生きてよいのだ’ということを。

そして、これを最も阻んできたのが、他の誰でもない、実は自分自身であったということに気づくことではないだろうか。

他の誰でもない、唯一無二の自分がここにこうやって存在している神秘を、
自分の内において感じ、考え、体験したすべての記憶の重なりとして在り続けている「私」とそのかけがえのない人生があることの奇跡をただただ愛おしく感じられること。

本当はそこに仰々しく「価値」などの言葉さえもいらないほど。

魂からの欲望を体現する本当の人生

存在価値で生きる自分が本当に望むことについて明確にすることは、今回の牡牛座・満月はベストタイミングだろう。

それは自分の魂の欲望していること

そんな自分が生きる人生で本当に大切にしたいことは何か?

そこには他者軸の価値基準は要らない。(常識や道徳も!)

ここではイマジネーション、夢、インスピレーションなど、非現実的で不可能に思えるようなことでも何でも心のままに伸び伸びと思い描いて、ロマンにどっぷり浸ってみてほしい。

一切の妥協のない、無条件にあなたが望む最高の人生とは?

それと同時に、自分の魂が欲望する人生に不要なものを手放すのにも満月は絶好のタイミング。

今回、とことん本当の自分の本音(欲望)と向き合い、それを感じ尽くしてみる。

・・・・そして、決意する。本当の自分を生きるために。

この満月以降、決意したことが自分の中から湧き上がる活力となって動いていくことになるだろう。

「豊かさ」の定義が変わる

新しい世界では、存在価値として生きる自分同士が集まってできる社会はここからどんどん変わっていくように思う。

(これまでの社会)「ギブ・アンド・テイク」:評価型価値の交換と契約、所有(条件付き)

(これからの社会)「ギブ・アンド・ギブ」:個の独自性の共有と循環、シェア(無条件)

これはそのまま「豊かさ」の定義の変化につながっている。

社会のの価値基準が、従来の他者軸での比較評価によるものではなく、個人の存在価値という独自性の表現へ移行していく。

個人の存在価値は、その魂からくる天性のもの、感受性、世界観が、魂の欲望からくる内発動機によって自ずと「自分が望む人生」として突き動かされる。

つまり、内発動機によって自分の天賦の才能(好きなことや得意なこと)をより一層、探求して極めたいという欲求を促し、そこにコミットするという真の「自分の人生の成すべきこと(使命)」に昇華させる。

それは存在としての自分自身を表現する喜びであり、同時に自然と誰かに喜ばれ、役に立つものになっている。

というのも、本来、魂から由来する自分の才能というものは自分の有用性のためだけに所有するものではなく、外へ表現して他者と共有するものなのだと思う。

そして、それを受け取った他者の心がレスポンス(表現)として返してくるものを受け取ることが今度は自分の喜びとなるという循環が起こる。

私たちの魂はどれひとつとして同じなものはないオリジナルな独自性の種(可能性)であり、かつその存在の根源において欠かすことのできないピースなのだから。