【山羊座・満月2回目】地上的な「わたし」が清算される
7月21日19:17、先月6月22日に続いて今年2回目の山羊座・満月となりました。
このことは、月が山羊座という領域のエネルギーを通過する1ヶ月であったことを意味します。
ひとつのサイン(星座)の領域は30度あり、同じ星座内でも初期のその星座のもつ純粋な性質のエネルギーから始まって中盤の15度でその性質を完成させ、後半はそれを成熟させ、最後は手放して次の星座へ移っていくという、グラデーショナルに移り変わっていきます。
なので、私たちは「月」という感情、感受性、過去(幼少期)の記憶、無意識において、山羊座の世界を一通り体験してきたわけです。
しかも、2回目の山羊座での満月。
1年で同じ星座で2回起きる満月は意識への強烈な影響があるとされます。
今回の山羊座・満月において私たちの意識がフォーカスされるであろうテーマについて、占星術、数秘、タロットなど形而上学的観点から読みとれることをシェアさせて頂きたいと思います。
〜山羊座・満月(7月21日)〜
地上的サイクルにおける「わたし」の完了と清算
山羊座というサインは目の前の現実であり、人間の集合性が「社会」という形を完成させる地上の現場を表します。
この山羊座に2008年から約16年間滞在し今年11月にいよいよここから出て、次の水瓶座へ本格移動していく冥王星に先駆けて、「月」が私たちの無意識領域でそのプロセスを体験しているとも言えそうです。
実は月と冥王星は形而上学的な階層で見ると、最も低いものと最も高いものに位置するがこれら2つの天体は共に無意識領域を表し、実はそれは魂の内側で繋がっています。
そしてこの冥王星は「死と再生」を司り、物事を根底から変容させる強烈さや極端さを象徴し、さらには約250年の周期をもつことから、人類の歴史の大きな転換点を記します。
今回の山羊座・満月は、地上的な人間の側面での私たち個人におけるひとつのサイクルの完了と強烈な手放しが促されるように感じます。
「わたし」という存在を本質的に見つめ直さざるを得ないような意識になるのかもしれません。
本質的な存在としての自分と向き合うことと、物理的な要素や社会的な価値観とは一切、関係ありません。
シンプルに自分という存在を根源意識との繋がりとしてはっきりと認識するということです。
すると、自己の本質である「本当の自分」と共鳴しない物事の捉え方、自分の状況や人間関係と決別せざるを得なくなるでしょう。強烈な手放しの促しがありそうです。
ここまで読んで、あなたは「何を終わらせるべきか」、「何を手放すべきなのか」、もう薄々分かっているはずです。
「もしかしてあれのことかも」と思ったものがそうです。
ここで気をつけないといけないのが、自分の外の世界の特定の状況や人間関係そのものの善し悪しを言っているのではない、ということです。
それは自分の意識の中での自分自身に対する在り方の反映でしかないからです。
その意味で自分の現実で起きているあらゆることは、「本当の自分」との向き合い方でいかようにも変わっていきます。
古い法で守られた「わたし」の安全装置が外された
何度もお伝えしているように、今回の山羊座・満月からの流れはかなり強烈になりそうです。
上記の内容に加え、この満月は月と太陽が冥王星からかなり強力な影響を受けています。
もう外の世界の価値基準で築き上げてきた社会的個としての自己認識でこのまま騙し騙し生きていくのは困難になるでしょう。
理由は簡単でそれはフェイク(偽もの)の自分だからです。
山羊座をルールする土星が守ってきた’常識’と呼ばれる社会的通念によってこれまでの社会構造とそこに従属する社会的個として生きる私たちのアイデンティティが、その秩序と制限をもって守られてきたところもあるわけですが、今、まさに私たち人類はその古い法が冥王星によって根底から破壊されていくのを地上で目撃しています。
なぜなら、地上の人間の意識がもうこれまでの物質的価値観をベースにした社会構造の中で「わたし」という自我意識を成長させていくフェーズが終わろうとしているからです。
森羅万象、何ごともサイクルというリズムをもつことで成長の運動がつくられる中で、ピークを過ぎた後は必ずあるフェーズの終わりがやってきます。
土星はそのサイクルを制限と秩序をもって保持しますが、それがやがて停滞、機能不全、閉じ込めをもたらしどうにもならなくなった時に、私たちの集合的無意識をつくる天王星、海王星、冥王星といったトランスサタニアン(土星外惑星)が外から強烈な働きかけをしてくるわけです。
今回は冥王星の介入により、土星の制限を破壊することによる限界の突破と、それによって未知の新しいエネルギーが(今まで認識できなかっただけで存在していた)高次元から流れてくることによって大きな変容がもたらされるでしょう。
これは根底から変化を望む人にとってはこれ以上ない恩寵となりますが、変化を望まない人にとっては一時的に破壊的な衝撃といった否定的な面として捉えられるでしょう。
冥王星の判断基準は、個我が魂の望む道にあるかどうかだけであり、0か100かの極端さをもって極限まで働きかけてきます。
「本当の自分」ではないものを徹底的に手放して、またとない自分を大きく変容するチャンスと捉えるかどうかが、この冥王星の働きかけを活かす鍵になりそうです。
純粋な孤独の中に自分を吸収させる
自分の純粋性の中に入っていくために、社会的個としての自分と距離をもつことが大事になりそうです。
「本当の自分」の声は、自分の外の世界の喧騒の中では聞こえません。それは自分の内なる声であり、心が静寂な穏やかさの中にある時に聞こえる声だからです(時に自分を見失う危機の際のウェイクアップ・コールとして聞こえることもありますが)。
社会的価値観や外の世界の出来事に振り回されているうちは、古い法の世界を終わらせたくない狡猾なエゴの声が大きすぎ、「本当の自分」の声がかき消されてしまうのです。
「本当の自分」が望むことが何なのかを知る必要があります。それこそが自分の魂がこの人生で成し遂げようとしていることだからです。
この時、ニセモノの自分のニセモノの望みや人生の目的に気をつけたいところです。
でも見分けるのは簡単です。
その望みがはじめから何かの社会的価値や意味、目的(人からの評価、仕事やお金になるなど)に結びついたものありきであるのはニセモノです。
それに対して本物の望みは、‘自分の内側からやってくる情熱によって突き動かされ、それをやっている行為そのものが意味になっているもの’です。
ここは、冥王星の恩寵を受けた者にとっては明白になるでしょう。
言ってしまえば、もうここからは本音(本当の自分)で生きるか、これからの人生をずっと偽りの自分を生き続けるかのどちらかしかないということでしょう。
本音で生きることを決めたのなら、人の目や社会的価値観などはもうどうでもよくなり、本当に自分が心からやりたいと思ったことしかやれなくなるでしょうね。