【獅子座・新月】心のままに自分自身と遊ぶ
灼熱の暑さが続くこの真夏の太陽。太陽は占星学(アストロロジー)において「わたし」という自我の核となる部分を表し、その太陽の支配するサインが獅子座。
その獅子座で8月4日20:13、新月となりました。
「わたし」という主観的な主張と独自性の表現を打ち出そうとする獅子座ですが、今回はそれを外の世界に向けるのではなく、自分の内側で解放を伴いながら行なっていくようです。
今回の獅子座・新月がもたらすタイミングで、ここから約1ヶ月、私たちの意識に焦点が当たるであろうことについて、占星学、数秘、タロットなどの形而上的な視点からシェアさせて頂きたいと思います。
〜獅子座・新月(8月4日)〜
本当は「自分の本音」に従うことでしか生きられない
社会の中で生きる私たちが常識を持ち出して当然のように抑圧し続けてきた「自分の本音」。
しかしその蔑ろにされている本音とは’「本当の自分」の音’なのだ。
音という漢字には「立+日」→日が立つ、という意味があることに気づく。
だから、‘本音を生きること’は、日(自分という太陽、光)を立たせる(輝かせる)ということだ。
本音は、内なるもう一人の自分、つまり「本当の自分」の声として自分の心の中で聞くことができる。
しかし、この物質世界で社会的な個として生きる私たちの多くは、常識を持ち出して論理的理性でこの声に耳を塞いでいる。
ところがこれから、私たち人間の意識が向かう進化の流れにおいて、この内なる「本当の自分」の声を無視することはますます困難になってくる。なぜなら、自分の中に自分という存在に対する抗い難い強烈な葛藤を生むからだ。
これが聖書の黙示録で表現されている、天使の吹く終末のラッパの意味だ。
「もういい加減、本当の自分の声に気付きなさい!」のアウェイクニング・コール。
あなたは、本当はもうとっくの昔からその声が聞こえているはずだし、自分がどちらへ行くべきか知っているはず。
「私は本当は何がしたい?どうありたい?」
ここでやることは嘘偽りのない自分の本音を受け入れ、それをただ決意するだけだ。
二元性のもつ完全性を知る
まずは、自分という存在の価値と、自分のもつ性質や状況とは全く別のことであること
「逆は必ずしも真ならず」ーどちらが正しく、どちらが間違っているというのはない。
全ての価値観には表と裏の二元性の側面をもち、私たちの体験はこの二元性のどちらかの極に傾くことによって成立している。だから何かを体験する度に二元性に基づく価値判断が生じるけれども、それは完全であることの証しだ。
すると自然体の自分のどんな在り様をも、それはそう在りて在るのだとわかる。
自分の性質、状態、行動などのポジティブな面はネガティブな面によって支えられ、逆もまた然り。
そしてさらに大事なことは、このまるで振り子のように二元性のどちらかの極に揺れ動いている自分の性質や状態と、自分の存在価値とは何も関係がないということ。
自分の存在価値はただ在るということ自体がそれを肯定しており、私たちが体験する前提となる本質そのものだからだ。
だからあなたはどうしたって何をしても自分という存在の価値が在ることには変わりない。
さてここまでくると、快・不快といった身体的な感覚、恐れや怒りなど動物的な感情、「もっと欲しい!」という本能的欲望、「これが好き!それはやりたくない!」という子供のような欲求・・・といった、一見、理不尽で稚拙でわがままにも思える、内なる「本当の自分」の声が訴えてくることは、二元性からなる自分という完全性のバランスをとるためのものであることに気づくだろう。
ただ心の赴くままに自分自身と遊ぼう!
「遊び」と聞いて何を感じるだろうか?
「遊び」という言葉を辞書で調べるとなかなか奥深く、「日常的な生活から心身を解放し別天地に身を委ねる」という意味がある。
ここでいう日常的な生活とは、常識と理性で押さえつけられた社会的な個としての「わたし」が生きている外的な世界のこと。
その世界の外に自分という存在の本質としての「本当の私」がいて、それは自分の心の世界で生きている。
「遊ぶ」というのは、その心の世界で生きている「本当の自分」を表現することだ。
この新月が起きた獅子座と照応する身体部分はハート(心臓)。
獅子座の象意でもある独自性、創造性、自己表現、誇り、自信もこのハートと共鳴するものだ。
ハートの放つ振動は、まさに「本当の自分」の心の声そのもの。
私たち一人ひとりの心臓は独自のリズムと音と奏でるまさに独自性を表すハート・ビート。
「遊び」をすることで理性が訴えてくる何かの生産的な意味や効果、目的や結果を考えるなんてナンセンス。
意味がないから「遊び」なのだから。
ただただ自分の内側からハートビートに乗って湧き上がってくるムード、直感、ワクワク、喜びに従って自分自身を表現すればよい。
すると、今まで社会的個のエゴに抑圧されてきた「本当の自分」が解放されるだろう。
この時の姿のあなたこそが、
この「本当の自分」を表現したあなたという存在そのものが、
自然と周りに影響し、誰かを助けたり、何かの役に立てたりしているようになる。
エゴの欲望から「自分は人のために何かをしなければいけない」と外圧的な義務感や承認欲求を満たすための動機から始めることは、いつも外側の出来事や問題に対処し結果を出すことが目的になり、そのための緊張、プレッシャー、努力、頑張ることが要求される。
しかし、「本当の自分(=魂)」の純粋な意図から始まることは、安心とリラックスした中で自分や周りの全てにおいて完全に調和された現実をつくる。
目の前の出来事も、自分と関わる他人も、「本当の自分」との関係性の状態を反映している。
自分の外側の不調和な状況や人間関係を必死でコントロールしようとするのではなく、自分の心の中の「本当の自分」との関係に調和を見出していくこと。
それは、’心のままに素直に生きること’というシンプルさに尽きる。