【魚座・新月】新たなリアリティの潜在的な種子を蒔く

’目を開ければ惑わされ、目を閉じれば明かされる。’

個人において、インスピレーションやビジョンで受け取ったものを現実的な世界で形にしていけるサイクルの始まりを予感させる新月。

しかし、そのインスピレーションやビジョンはどこから来ているのかというと、それは個を超越した集合無意識の領域からだろう。

魚座のサインで起こる今回の新月(さらにそこには木星と海王星も滞在中)は、その集合無意識の中にある、個々の人間に無意識的に思考、感情、行動のあるパターンを促す’意識の器’が融解されていくようなフェーズだ。

個人的な体験や必死でかき集めた情報や知識といった表層的な形をもつものの全てがここでは溶かされる。
言葉や論理的思考によって理解して掴んだと思った瞬間に手の指の隙間からこぼれ落ちる砂のように。
ここではもはや何かの概念(意識の内容)をつくるあらゆる形は無いに等しい。

そして、おそらくそんなものは本当ははじめから存在していないのだ。

概念が無いということは何も定義されない。
だからそこには、宇宙や世界、時間や空間も、私もあなたも無い。
そこには、ただこれからあらゆる概念の形をつくりうる無限の可能性があるだけだ。

集合無意識ないし個々の意識はこの物質世界でのリアリティ(現実)を体験するためにその幻想のような形を使う。

リアリティの体験とは、’「見ている<わたし>の意識」と「見られているもの」の共同作業’のことだ。

<わたし>が見る時、その無限の可能性が失われ、ひとつの現実に収束する。

つまり、リアリティの体験とは’見る’ということそのものを表す。

そして’見ること’とは、科学的には素粒子の一種である光子(電磁場)が網膜に入ってくることによって成立する観測行為である。

よって、

「リアリティの体験=見ること(見る&見られるの観測)=光子(素粒子)」

というのが、私たちの意識の中の出来事として起きているということになる。

ところが通常、<わたし>の意識が’何を見るのか’という見る力は、潜在化(無意識的で受動的な状態)している。

だから現時点の人間にとってリアリティの体験とは自動反応的に’見させられている世界’ということになるだろう。

ー 何によって?

それはおそらく、光子(素粒子)であり、無意識によって。

今回の魚座の新月は、ここまで自我意識の核(太陽)が獲得した形を一度、融解して、さらに深みを増した無限の可能性に、次の新たなリアリティの体験(見ること)の潜在的な種子を蒔くようなタイミングのような感じがする。

きっとそれは、冒頭で書いたように、私達は個々においてインスピレーションやビジョンといった感覚的なものとして受け取るでしょう。

そして、その受け取ったものを現実的に形にすることがとても大事になりそう。

なぜならそれが、潜在化している「<わたし>の見ている意識」を顕在化させて、能動的なリアリティの体験(望む現実を意識的に選択する)への転換を起こすきっかけになるかもしれないのだから。