【射手座・新月】未知なる自分という真理への探求
人類史上レベルのパラダイムシフトの真っ只中にあり、先日の冥王星の水瓶座入りを皮切りに本格的な新時代へ突入した’今’を生きる同志である皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
まだあまり実感がない、何がどうなのかよく分からない。自分自身も自分の世界も一体が何が起きているのか感覚すらできない、という混乱と戸惑いの中に人も少なくないのでは?
もしかしたらそれは、転換期の渦中にある時は自分自身とその状態そのものが同化しているため認識しづらいというのと、また新時代へ切替え直後の黎明期は旧時代の記憶感覚が薄れている上に未知の新しいエネルギー(本当は魂の記憶には既にあるものなのですが)に慣れていない、というのがあるからかもしれません。
しかしこの全人類に関わるパラダイムシフトはある時突然、起きるものではなく、グラデーショナルなプロセスをもって移行していくものです。
今回のトピックである射手座・新月になるのは12月1日です。
12月。今年最後の月であり、年末へのカウントダウンが見えてくる時期です。
2024年が始まって12ヶ月目に突入したという実感はあるでしょうか。
そこにあなたはどんな時間の流れを感じとっていますか?
ここまでの間に、あなたには既に‘過去から未来へと流れる直線的な時間の中にいないような感覚’があることに気付いたのではないでしょうか。
それは何を意味するのでしょう。
これが新時代からの人間意識の革命、特に時空感覚の変容に関係していると感じます。
この射手座・新月も大きく意識の方向性の変化が促されるような動きのあるタイミングになりそうです。しかもこの12月は年末の31日に2回目の新月があるという、何やら意味深な展開を予期させます。
それでは今回も、この射手座・新月によって私たちの意識に焦点が当たるであろうポイントについて、占星学、数秘、タロットなどの形而上学的な視点からシェアさせて頂きたいと思います。
〜射手座・新月(12月1日)〜
必ず起きる!?自己の本質へ目醒めさせる強烈な促し
今まで見えていた部分というのは、ある自分の視点から見た小さな一面にしか過ぎなかったこと。
そして、それがこの世界や自分自身における真実であると信じ込まされてきたことに気付いくようなことが2025年〜2026年にかけて益々、起きてくるでしょう。
でも大事なのは自分の外の世界で起きる出来事そのものではないということ。
外の世界はあくまで射影空間(幻想)に過ぎないのだから。
何の射影空間か?
それは、自分の内側の世界のだ。
この人類史上のパラダイムシフトの切替えのスイッチはここにあると思っている。
それは、これまで外側にだけ向けさせられてきた人間の意識を内側へ戻すこと。
これはなにも自分の外側の世界が悪で、内側の世界が善と言っているわけではない。この両極が必要であるし、それどころかどちらかだけでは成り立たないから。
ただこれまではバランスが悪かった。
人間の意識はあらゆることにおいて半分しか見えなくさせられていて、それが全てだと思い込まされてきた。
そして、ここにも善悪やネガティブもポジティブもない。(そもそもこういった二項対立的な物の見方を超える必要すら感じる。)
これもまた宇宙の意図(予定調和)として起きていることであるからだ。
ただその切替えのスイッチが押されたのが、まさにこの’今’という時代のタイミングだということだ。
これまで私たち人間は半分を見失って、それを忘却して生きてきた。
それは何の半分を?
それは自分という存在そのものにおいてだ。
だから、自分の外側の世界に意識の焦点が向けられ、見えるもの、物質世界、左脳的な論理的思考で説明・証明されること(科学的世界観)、三次元時空・・・といったものに認識感覚や価値観をもたされてきた。
自分という存在の認識においても!
(もちろん自分の外側の世界だけではないことを感じとっている人間の意識もあったが、それが明確に何であるかを知性をもって直観することが難しく、主観的な妄想に取り込まれたりすることも少なくなかった。)
ここからこの切替えのスイッチが押された後の世界をどの位相でどのように認識していくかで、今後の新世界の生き方が全く変わってくると感じる。
繰り返しにはなるが、重要なのは、これまで自分の外側に向けられていた‘自分の意識を自分の内側へ向ける’ことだ。
すると、必ず真の自己の本質へ立ち帰る道筋が開かれてくる。
最初は古い認識に紐づいたショック療法のようなことがあるかもしれないが、それによって初めて今まで自分の意識がほとんど光が届かない深海の奥底でまどろんでいたことに気が付けるのだと思う。
未知なる自分という真理への探求
この射手座新月はまさに、「自分にとっての真理」を探求する始まりだ。
これまでの自分の外側に向けられた意識というのは、誰かや何かの価値観で生きてきたということ。
これは個人的なレベルではなく、人間の集合意識レベルの強烈な洗脳による呪縛でもある。
絶対唯一の正しい答えなど、本当ははじめからどこにもなかったのだ。
だからもう、自分の外側にそれを探そうとしてはいけない。
それどころか、’答え’というものすらそもそも存在しないのかもしれない。
自分の中の内なる射手座の性質はそれを分かった上で、それでもこの答えなき答えを探求しようとする。それは、自分の「生」という純粋性をこの世界でどこまでも貫いていくことであるからだ。
’自分という真理’を探求し続けることそのものが、自分の命を生きることだから。
魂は「本来は自由に意志し、選択することできる自らが自らの創造主である」という偉大なる自身をあえて忘却した人間としてチャレンジしている。そのチャレンジという体験が人間にとっての人生だ。
個々の魂は、宇宙という存在の根源にとっての新しい視点の可能性、つまりは独自性の種である。
だからこの地上においてまだ存在したことのない唯一無二の花を咲かせることは、新しい宇宙を創造することでもある。
「そういう存在として自分自身を生きるとはどういうことなのか?」
という問いを、この射手座・新月は私たちの中に情熱という形で突き動かしてくるように感じる。
・・・おそらくその問いかけに対する返答は、実は既に’今、ここ’に開示されているのかもしれない。
それは、日常の、自分の視野空間に映し出される目の前の世界を、自分の内側の世界を反転させたものとして観ることができた時に・・・。