【山羊座・新月】隠されてきた暗闇の深部へ光が差し込む
これを書いている12月31日の本日をもって今年2024年が終わります。
そのまさに文字通り今年最後の日というタイミングで山羊座で新月を迎えました。しかも今月2回目の新月です。
1か月に2回起きる新月のことをブラックムーンと呼び、通常の新月よりもパワフルな浄化とリセットするエネルギーをもつといわれています。
このタイミングでブラックムーンの山羊座の新月を迎えることに、やはり人智を超えた完全な宇宙の理というものがあるのだろうと天の采配と祝福を感じずにはいられません。
今回の新月のもたらす浄化・癒し・解放するものは、個人レベルでの今年1年間に関することを超越するような深遠なスケールをもった未知の領域へ対峙していく始まりであることを予感します。
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さて、これで今年最後の記事になります。
今年もたくさんの方にブログ記事をお読み頂きましたことを心より感謝いたします。ありがとうございました。
来年から新しいサービスを企画しておりますので、その際にはHPやメルマガにてお知らせできたらと思っております。
どうぞ素晴らしい年をお迎えください。
山羊座・新月(12月31日7:26)
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まだ見たことのない人生の可能性が広がる世界へ
この新月はただでさえ「強力な浄化とリセットのエネルギー」が働くブラックムーンであるというのに、その上さらに「浄化や癒し」の性質をもつ魚座のナチュラル・ハウスである12ハウスで起きる。
そこから見るにあたって、個人レベルはもちろんのこと、同時にその範疇を超えた人間の集合無意識レベルのスケールでもって、今まで一度も私たちの意識が向けてこなかった暗闇の深部へ光が差し込むような感じがするのだ。
‘大切なことは目に見えない。’
意識できないから、見えないからと言って無いわけではない。それは確かに在るのです。
むしろ、その見えていない部分が、普段私たちが認識していると思っている顕在部分を背後から支えているのだから。
しかしここにきておそらく、その私たちの意識の中の見えていない部分で、長い間ずっと膠着状態にあった(カルマ的因果になっていた)深い傷を負った絶望的な悲しみがここにきて解放されようとしているように感じる。
私たちがそれを「見る」ということによって。
「見る」とは認識することと言ってしまえば簡単だが、特に今までそれを無いものとして思い込んできた、この個人的および集合的な無意識の世界にある不都合で割り切れない、できたら今まで通り最初から無かったものとしてこのまま闇に葬っておいてほしいおぞましい何かをその‘ありのままの在るもの’として全て受け入れるということだ。
これには、これまでの自分の生きてきた中で感じたことがない恐怖心を克服する相当な覚悟が試される。
理性の自分がここまで何とかコントロールしてきた表面的な取り繕いのメッキはあっけなく剝ぎ取られる。
ここでは最もらしい論理的な考えも甘い魅惑的な言葉も何も通用しない。
見える世界の素晴らしき誉れとして称えられたものの全てでもっても、ここではそれを誇張すればするほど空しい軽薄さの泡となって消える失せる。
「在りのままの在るものとして全てを受け入れる」とは、自我(「わたし」という意識を支えているもの)の死の覚悟をもって、それでも救い出したいもの、信じているもののために、底の見えない恐怖の闇の中へ何も持たない真っ裸の自分自身を全身全霊投じる「慈悲」のことだ。
これがまずは自分や誰かという個人の中で起き、そして個の意識が繋がっている集合意識に波及していく。
濁っていた一滴の雫が浄化され透明な純粋性を取り戻した後、他の水滴とくっつき、繋がり、水たまりになり、それが蒸発し雨となって地を濡らし、そして水滴たちの源である海へ帰還する。ここで全てが融合し、ひとつになる。
始まりと終わりが接続されるところ。
<わたし>とは、本当は一度も生まれたことも死んだことも、分離されたこともなかった根源そのもの。在るものとして在るもの。
こういったことがこの大みそかの山羊座・新月から始まっていくのかもしれない。
実は、慈愛によって救済されるのは<わたし>という自我自身ともいえる。
自我は自分の死をもって自分以外の何かに献身することで最高の安らぎの中で終わりを迎えることができるからだ。
これこそが自我にとっての真の誉れなのである。
私たちがそこから生きようとする時はじめて自分の中にある最も崇高な意志をもつことができ、それを表現しようとする人生に生まれ変わることができるのではないだろうか。