【新講座のご案内】ついに開いた新しい創造時代
さあ、ついに創造時代の幕開けです。
創造時代とは、”自分の心の世界”と”目の前の現実”が一つになる意識の時代のことです。
それはつまり、
自分という存在 = 自分が見て、感じて、体験している世界
になるということです。
だから、自分が感じ味わい尽くしている体験が”自分という内的な宇宙そのもの”なのです。
<わたし>という自我意識は、自らの内的な宇宙を感じ取っている「感受性の階層的な構造をもつ形」によってつくられています。
この形は球(タマ)の形をしたスピリット(霊性)を受け取るコーラ(器)、「魂」のことでもあるのです。
この<わたし>という内的宇宙を感じ体験している器である魂を表現したのが個々の<わたし>のホロスコープ(出生図)です。そしてそれは世界で唯一無二のものです。
そうです、<わたし>という内的宇宙である個々の魂はそれぞれが絶対的な独自性をもっているのです。
ではその<わたし>とは何者なのでしょうか?
おそらくこれは自分という内的宇宙(魂)を知りたくて自己探求する者がまず最初に自分自身に投げかけるであろう問いのひとつでしょう。
そして、自分を知るためにこれまで長い間、自分の内側を掘り下げて、見つめて、時に癒しながら向き合ってきた人も多いのではないでしょうか?
これまでの時代はそれでよかったのです。
なぜなら、私たちの意識が”創造された世界”を体験する時代だったからです。
創造された世界とは、創造されたものの「結果」であり、「過去」の世界のことです。
思い出してほしいのです。
<わたし>という自我意識をもち始めた時には既に目の前に世界があったはずです。
そこから時間と空間の軸が’概念’によって伸び広がって、気が付けば”三次元の物理的現実世界の中に<わたし>はいる”、という集合無意識の中に落ち込み、それを疑うことすらなくそういうものとして今まで生きてきたはずです。
しかしそれが”創造された世界”だとすれば、それは同時に’創造した者がいる’ということも意味するのではないでしょうか?
「汝自身を知れ」
哲学者ソクラテスの座右の銘としてして知られ、古代ギリシャのデルフォイのアポロン神殿の門に刻まれていたことでも知られるこの有名な言葉は、観ている意識の視点と方向によってとらえる意味が真逆になるように感じます。この世界の他のあらゆることがそうであるように。
この汝とは、眠った魂の如くすっかり忘却してしまっている<わたし>(=人間)という存在の出自、つまりはそれを”創造した者”としてのもうひとりの内なる自分(=神)のことではないのでしょうか?
前述した<わたし>という内的宇宙である魂を表現したホロスコープを扱うアストロロジーは、元々は人間がこの創造した者(内在神、ハイヤーセルフ、スピリット)自身に帰還するための意識のテクノロジー(ツール)であると神秘学では考えます。
「占星術の世界で”星を読む”と言いますが、ではそれを書いたのは誰なのでしょうか?」
宇宙を「マクロコスモス」、人間を「ミクロコスモス」だと言われたりしますが、実はこれらは本質的には表裏一体であり、どこに意識をおいて観ているかの違いでしかないのです。
「天(テン)=マクロコスモス」は「点(テン)=ミクロコスモス」なのです。
ここに見えてくるのはやはり、<わたし>を<わたし>たらしめているそれ以前のアルケー(始原)があるということです。
<わたし>にそのように観させ、感じさせ、思考させ、感覚させ、聞かせ、味わわせ、体験させている原初の高次元のものが。
そこでまず、<わたし>という魂の始まりであり、その流出の根源である「冥王星」を知らずして、自らの宇宙を知ることができるでしょうか?
これまでの”創造された世界”の時代の在り方で認識する冥王星は、地上から天を見上げるが如く、それは人間が抗うことができない強烈な運命であり、突然やってきて根底から破壊し尽くすまるで悪魔の顔のように見えるでしょう。
これを抽象概念的に思考を試みるならば、自分の意識が観察している次元より高次元にある冥王星は”不可解な動き”として見え、強制的な働きかけをしてくるものになります。
しかし、”創造する者”としての意識が開いた新しい創造時代の冥王星はそれを自分自身のシャドウとして認識します。
この創造時代の冥王星は、かつての逆らえない運命の流れの中で怯えながら出自を忘却した<わたし>を生きるのではなく、自分自身が運命の力そのものになった魂として生きるようになるのです。
なぜなら、”創造する者”と”創造されたもの”が統合されたからです。
さあここから水瓶座・冥王星の、未だかつて体験したことのない全く新しい創造時代が始まります。
当サロンではその創造時代をまずアストロロジーから開いていきます。
その第一弾がこちら▽