【夏至】ラララ・’精神的な太陽’の復活

今年6月21日に迎えた夏至は、一年で最も力強く太陽のエネルギーが地上に注がれる日だ。

太陽は、いつも、どこでも、誰の頭上にも必ずそこにあり、自ら放つ光を万物に平等に降り注ぐ。
’この地上の全ての存在は肯定されている’という真実を明示するかのように。

実は私たちは無意識ながらも、こうやって目に見える物質的天体としての太陽の背後にある、何か宇宙の根源的な精神、’霊的な太陽’を感じとっている。

しかし、その霊的な太陽の神性(一般に太陽神、太陽信仰として崇拝されている存在)はどこに存在しているのだろうか?

日本語の太陽は「日(ヒ)」とも表現され、同じ音をもつ「一」、「火」、「秘」、「霊」とも共鳴する。
つまり、太陽(日)は、はじまり(一)であり、情熱や直感(火)であり、見えない隠されたもの(秘)であり、霊的なもの(霊)であるということだ。

つまり太陽とは言うならば、物質的なものを現出させる前の、またその原因にもなる実体をもたないエッセンスであり、脈動するエネルギー(意識、精神、霊)そのものといえる。

占星術では太陽のことを「私」を「私」せしめている自我の核と捉えるが、神秘学的には実はこの自我の核は2つの次元的段階がある。
それは、①「私」という自己に閉じ込められた自我と、②自己を解放した自我だ。

このことは自ずと太陽には次元的違いがあることを示唆する。

①の太陽は社会的なアイデンティティー(性別、年齢、家族、職業など)で定義された’「私」せしめている意識’である「物質的な太陽」。

②の太陽は自分の感覚や感性、感情、思考など’「私」であることをあり続けている意識’である「精神的な太陽」。

有史以来の、これまでの人間は①の「物質的太陽」として自分の存在、人生や世界観の中で当然のように生きてきて、近代からの資本主義が今、それをさらに極限まで追い込んでいる状態だ。

そして、この2023年の夏至は、ここまでの段階的なプロセスを経てきた私たちにとって、それは人間を人間せしめてきた人間意識という霊的な位相レベルでの根源的な反転がついに起きたように感じる。

つまり「物質的太陽」から「精神的な太陽」への完全な位相転換が起きたのではないか、と。(個人的にこれは巷で意識の次元上昇と呼ばれているものの一つの側面だと考えています。)

ちなみに位相転換とは、人間意識の方向性が決定づけられたということ。

もちろんここでいう人間意識は集合的なものであり、個的レベルではどんな選択も自由だ。前述通り、太陽はあらゆる全てを肯定するのだから。

◆  ◆  ◆

要するにここから私たちは’自分の心の世界こそが本当のリアリティ(現実)だったのだ’と、気付き認識していくフェーズへ意識が転換していくのだと思うのです。

それは、「私」が「私」であり続けさせているモノの側になっていくということです。

これまでの「物質的な太陽」のエントロピー的に拡張し続ける表面的な数字や概念の幻想に惑わされる意識ではなく、自分という多次元意識の中を突き抜ける一本の’深み’の軸に入っていかなければいけないともいえます。

それが「精神的な太陽」が放つ根源的な内なる光、つまり’自分が魂の火(日)であることを知っている意識’のことだと思うからです。

*本記事の題名の「ラララ」について*
古代神秘主義において霊的太陽は440ヘルツの「ラ」の音に対応するとされ、これは赤ちゃんの産声の音域と一致するのだとか。
「生きたい!」という魂の情熱の音であり、それは私たちの精神的な太陽の声ともいえるのではないでしょうか。