【獅子座・満月】失われた真実の太陽を取り戻せ!

 

もうすぐ、二十四節気での新年にあたる立春(2月3日)が近づいているせいか、尋常でなく眠いです。

立春は古いエネルギーと新しいエネルギーの切り替わり(強力リセット)の時と言われていますので、立春に向けて感情や思考、ライフスタイルの習慣などにおいても自分にとってもう不要だと思われるものを意識的に手放していくのに良いかもしれませんね。

その手放しを後押しするような今年最初の満月が、1月29日4:15獅子座で起こりました。

体感的にとてもパワフルな満月じゃなかったですか?(正確には満月当日の2〜3日前から体感に来てました。)

満月は短周期での一つの到達点のときであり、また浄化や手放しの作用があると言われていますが、今回のこのパワフルな獅子座・満月は私達にどんな気づきを促しているのか、私が感じたことをシェアさせて頂きたいと思います。

【数秘&タロット】2021年1月29日→「17/8」

  • 「17・星」:無意識の世界の直接体験。目の前の広がる世界に私の本質、魂の全ての記憶が開示されている。
  • 「8・力」:本能的な欲望や恐れからくる感情をあるがまま受け入れ、この先の人生を進んでいくための推進力に変える。

【Key Points】
●絶望から始まるイニシエーションの時
今回の獅子座・満月が強烈にパワフルと感じたのは、おそらくこの満月がイニシエーション的な働きかけをしているからではないかと思う。それはもう機能しなくなった古いパターンに二度と戻ることがない、これから進む新しいフェーズへ完全な切り替えの意識的な儀式だ。

しかし、今回のこのイニシエーションの扉は、どうやら’今、どん底で絶望している者’にのみ開かれているようだ。

例えば現状のコロナ禍で、全てを失った者たち、以前のような状態を取り戻そうと躍起になる者たち、または今こそ商機と言わんばかりに新たな活路を見出そうとする者たちがざわめき合っているこの混沌とした世界に、この先もこのまま続くであろうこの世界の未来に、

君よ、一抹の希望も見いだせず絶望していなければいけない」。

なぜなら、それがこのイニシエーションの条件だから。

私達には心底絶望しなければ、自らの体験をもって墜ちるところまで堕ちなければ、見えないものがある。

●2つの太陽
一般に「太陽」の象徴的な意味に、<わたし>という自我意識をつくる核、顕在意識、目的意識というのがある。

しかし、太陽は2つあることを知っているだろうか?

普段、私達が天体として目撃する太陽も1つだし、太陽が2つあるなんて信じられないかもしれない。それもそのはずで、もうひとつの太陽は私達が通常、「認識している太陽」に隠されてしまっているからだ。

これを理解するために私達の「認識している太陽」、つまり認識している<わたし>の意識はどこにあるのかを確認するといい。

私達が「認識している太陽」の<わたし>とは、人格をもった社会的個のことであり、それは数値化して市場価値のランク付けをされ、番号が振り分けられた国民や便利で安い労働力である人材にもなりかわる、老後の生活の貯蓄の心配と孤独死の可能性も頭によぎりながら、肉体的寿命が尽きるまで生きている、地球上の76億人の人間の1人に過ぎない存在のことである。

そんな「認識している太陽」の<わたし>がいる世界は、セシウム時計による等間隔の秒針が刻む均質的な時間の中で、誰一人人類が目撃したことがない約135億光年前のビッグバンによって生まれたとされる宇宙からこの先も無限に伸びる過去と未来をつなぐ直線上の時間軸と、私達が暮らす地球の外側には無重力・無機質・圧倒的孤独な静寂が無限に広がる銀河宇宙という空間からなる世界だ。

こんな世界の中で、私達はできるだけ健康により良く生きていこう、自分の人生に目的をもとう、自己価値を高めようと’生きること’の意味に少しでもポジティブな側面を見出そうとあらゆるメゾッドを試みるのだが、一時的に何か解決策を見出したように思えても結局は焼き石に水でしかないことを悟る。

なぜなら、この「認識している太陽」の世界は’光’が不在だからだ。だからこの太陽は「幻想の太陽」、神秘主義的な言い回しでいうところの「偽物の太陽」だ。そう、全てフェイクなのだ。この「幻想の太陽」の放つ光は、脈動する生命エネルギーの創造活動の場ではなく、派手に演出された自己主張の強いギラついた光だ。

皮肉なことに私達人間がリアリティとして疑わないこの「幻想の太陽」の光で照らされた幻想の世界で展開される個人活動を人生と呼んでいる。

ではなぜ「幻想の太陽」が存在しているのか?

幻想の太陽とは、鏡に映された’鏡像の世界の太陽’のことである。

鏡が映し出したあなたはあなたの実体ではないように、鏡像の世界の太陽もその実体そのものではない。だから「幻想の太陽」なのだ。

ここで、先程のイニシエーションで「君が絶望していなければいけない」のは「幻想の太陽」だということに気が付く。

「幻想の太陽」の世界には本物の光がないのだから、そこでは希望の星をどんなに探し求めても決して見つかることはない。

では、実体のある「本物の太陽」はどこにあるのか?

実はそれは探し求めなくても、’今、ここ’の目の前にいつもある。

しかし、ギラついた派手な「幻想の太陽」に見入っていると、この「本物の太陽」を見ることできない。

「本物の太陽」は、純粋に知覚体験している現場そのもの。つまり、触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚という五感を通じて自分の内部に響くものによって生じる思考や感情などの精神の活動とそういった体験の積み重なった記憶というタイムレスな永遠の中で蠢いている生命エネルギーのダイナミズムそのもののことだ。

「本物の太陽」とは、<わたし>が直接、知覚体験している世界そのものであり、その知覚している「本当の<わたし>(=自己の本質、魂)」がある場所そのものであり、他の誰にも不可侵な自己の領域のことだ。(ただし、この知覚の世界は肉体の中でもなければ脳の中でもない。肉体も脳も「幻想の太陽」がつくった想像の産物だから。)

そして、知覚は光によって生じる。「本物の太陽」とは’生命活動の光そのもの’のことだ。つまり、純粋な知覚体験をしている<わたし>こそが光そのものなのだ、ということになる。これをイエス・キリストは「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」と言い表したのだろう。

「本物の太陽」とは、<わたし>の存在の「真実の太陽」なのだ。

本当はいつも「真実の太陽」の世界を私達は生きている。それは静かに私達の奥の方で息づいており、決して明瞭な言葉や意識に上がってこないから認識しづらいのだが、自分の今、目の前の純粋な体験のシンプルさの中に全てが開示されている。

あなたが大切に想う人と楽しいひとときを過ごしている時、時間や場所など忘れてしまうぐらい、深く心に触れるタイムレスな感覚の中にいるのではないだろうか。これが「真実の太陽」の世界に生きているあなただ。

そして、ふと時計に目をやると、均質的なセシウム時間の経過を指し示しながら、「幻想の太陽」があなたをいつものように急かし、まくし立てる。

「ああ、もうこんな時間になってしまった。今日もあなたは何一つ生産的なことをせず、だらだらと無駄な時間を過ごしたのだよ。1日は24時間しかないんだ。あなたが人生を終える前に夢や目標を達成するのに時間は残されていないんだ。時間がない!急げ!もっと頑張れ!」

<わたし>は、この全く異なる2つの太陽の世界の中で生きている。

この満月の月が位置する’獅子座’は「太陽」がルーラー(支配星)となるサイン。また獅子座は私達のハートに関連する。

<わたし>の本質の在り処を示す場所にいる牡牛座の天王星はこの獅子座・満月に宇宙の摂理を突きつける。

本当の<わたし>は一体どこにいるのか。

この満月のホロスコープは、起きることは全て一見、自分の外側の世界で起きているように思えることであっても、実は全て自分の内側、「真実の太陽」の世界の’今、ここ’の<わたし>の精神の動きそのものであること示しているようだ。