【水瓶座・満月②】生きながらにして死を体験する自我(前半)

前回の投稿から早1ヶ月ですか・・・(呆然)。

今後は新月・満月関係なくピンときたタイミングでこれぞと感じる記事をアップしようと思っていましたが、結局、8月22日、今年2度目の水瓶座・満月となったこのタイミングでの投稿になってしまいました。

やはり、少なくとも私にとっては月のサイクルというのは、心や体のリズムであったり、物事の大事な節目に影響を与えているのは間違いないようです。

さて、この1ヶ月の間、私は命懸けで過ごしてきました。何かの病気になったとか、大きな不幸に見舞われたとかというわけではありません。

一言で言えば、過酷な断捨離をしていました。

しっかり断捨離に取り組んだことがある人なら分かると思うのですが、徹底的な断捨離は人生の棚卸し(リセット)であり、人によっては今までの古い自己のアイデンティティ(自我)の死に匹敵するのではないでしょうか。

今回の断捨離は私にとって昨年に続く2度目のさらに大きな断捨離となりましたが、この太陽・獅子座シーズン、獅子座・新月(8/8)、そして今回の水瓶座・満月ともリンクする気づきがあったのでシェアさせて頂こうと思いました。

私にとって断捨離は、かのコンマリさんの提唱されている’ときめきメゾッド’ではとても対処しきれるものではない大変な集中治療であり、それはエーテル体の手術であり、魂の大掃除のようなものです。

でもなぜ、わざわざ重い腰を上げて、一応、表面的には収まっているように見え、目下の日常生活を送るのには問題がないのに、なぜわざわざ押入れの奥からホコリのかぶった沢山のものを引っ張り出して、ひとつひとつを仕分けして、処分していくようなことをするのか。

それはそうせずにはいられないから、です。

自分の身の回りにある所有物は、過去の自分の想念(感情や思考)の結晶化したものです。

物を手に取る度に、’思い出’を通して、その物に自分の感情や思考を投影します。そして同時にその過去からずっと引きずって存在している<わたし>を確認するのです。

私が断捨離せずにはいられなくなるのは、今までは思い出がいっぱい詰まった大切な物であったはずが、もう今の自分には古い<わたし>の抜け殻のようで、もはや貴重な空間を占領する物質的にも心理的にも重いゴミでしかないからです。

ただ明らかにもう興味のないものや古すぎて機能しないものなら迷わず捨てられるのですが、中には’微妙なもの’があります。

綺麗だし、まだ使えるし、未使用だし、価値がありそうだし、いつか使う時があるかもしれないし、誰かにあげてもいいかもしれないし、もしかしたら〇〇かもしれないし・・・・・・。

これといって今、捨てなければいけない明確な理由が見つからないもの。それはつまり、’今の自分にどうしても必要ではない’というものです。

私は、こここそが’肝’だと思うのです。

これは人生そのものなのです。そして、自分を生ききることそのものに関わることなのです。

私達は、直面する物事において選択することについ尻込みして、曖昧に先延ばしにしたり、表面的には取り繕って誤魔化したりしがちです。

選択することは、選ばなかった方を’切り捨てること’であり、’終わらせること’を意味するので、覚悟と責任をもって決断しなければならない上に、心苦しさ、罪悪感、悲しみといった心の痛手も味わうかもしれません。

人生は選択の連続です。

しかし、選択の決断は鋭い刃の如く、強い意志と厳しさをもって成されなければならないのだと思うのです。

それは自分の生命の火(エネルギー)を燃やすことだから。

ここにいる私達すべてが「わたしは生きたい!」と熱望した生命の火が噴き出したところに生まれ、そして、その火を燃え尽きるまで燃やし続けることが’生きること’そのものなのです。

ここに生まれてきた意味や使命があるとすれば、私達の誰もが自分の生命の火を燃やすのを全うすることなのだと思います。

あらゆる選択と決断というのは、自分がここに存在していることを全肯定している、原初の生命の火の純粋な輝きと熱をもって燃え上がるものであるために、つまり自分であることを生ききるために決して妥協してはいけないのだということなのでしょう。だから自分の生命の火を燃やし続けるという純粋な欲望のために戦わなければいけないことが人生には必要だったりします。

そして、熱く燃え上がる自分の生命の火の煌めきは、他の生命の火を照らし活気づけます。これぞ、獅子座の高次のエネルギーです。

さて話を断捨離に戻しますと、自分の生命の火を燻ぶらせるものを切り捨てていくことであり、それはもう機能していない過去の自分のアイデンティティを切り離すこと(過激な言い方では殺していくこと)という厳しい決断と実行の連続であるのが断捨離であり、だから大げさではなく命懸けと表現したのです。

そして、これは何も所有している物の話にとどまらず、もう機能していない自分を取り囲むあらゆること(健康、人間関係、家庭、仕事、衣食住など)において’断捨離(捨てる、手放す、終わらせる)’をしなければいけない局面に、おそらく今、多くの人が直面しているのではないかと感じます。

今、まさに直面してもがいている人は燻っている自分の生命の火が’怒り’となって火を強めよう(情熱を取り戻そう)としているのかもしれません。

今、特に何も起きていないように感じる人も、ずっと昔に押し入れの奥の方に押し込んで見ないようにしてきたことがこれから浮上してくるかもしれません。

今はまだ、何にしてもこれから起こるであろう人類未体験な移行プロセスのほんの始まりに過ぎないのだろうと思います。

(後半に続く)