【牡牛座・部分月蝕】あなたはここから出られない!?〜前提は盲点になる〜

 

あなたは物心ついた時からこの世界について知り、その中で自分が生きていると思っている。
この世界にはたくさんの人間や人間以外の多くのものが存在しており、法則があり、常識やルールがあることも知っている。

しかし、肝心の世界そのものの姿を一度もこの目で見たことがない。
なぜなら、それを’見る’ためには、それそのものの外側に出る必要があるからだ。

だから、あなたはいつもこの世界の外へ出るためのドアを探し続けている。
世界をこの目で見るために。
そして、この世界に存在している自分自身について知るために。

世界や自分自身に関する際限なく溢れる好奇心や問いは、この旅の推進力になる。
しかし、情報をどれだけ拾い集めても断片的な世界の影しか捉えることができない。
自分の感覚の中に浸るのは居心地は良いが決して前に進むことはできない。

あなたはこれまでにこの旅にとてつもない長い年月をかけてきた。しかし、いまだにこの世界から出られずにいる。

「それを探してはならない。それは探すと見つからない。それは全て今、この目の前に在る。」

ある時、あなたは自分の中の内なる声の衝撃を受けた。

「・・・・・!!!。私は本当にこの世界の中にいるのか?!そもそも在ると信じてきた世界自体が存在しているのだろうか?!」

あなたは直接、知覚体験した訳でもない概念でつくられた世界の存在を信じていたに過ぎなかったということに驚愕する。そして、そんな世界の中に自分が閉じ込められていると思い込んでいただけだったのだということに!

あなたがこの世界を含め、在ると信じているものは、全て概念に過ぎない。この世界が概念であるのなら、その世界の中に在ると信じているあなた自身も概念だということになる。
あなたの肉体も、名前も性別や国籍、年齢、家族、所有しているもの、職業、肩書き、人間関係など’あなたをあなたならしめてきたあらゆるもの’は全て、そのように設定され認識している概念だ。

物心ついたとき、つまり<わたし>という自我意識が芽ばめ始めた時、あなたは<わたし>という自分と、その自分を取り巻く世界を’概念’でつくった。

なぜ?どのように?

それは、<わたし>の自己視点が生まれた瞬間、<あなた>という他者視点と、<わたし>と<あなた>を見つめる第三者の客観視点が同時に生まれたから。

それが<わたし>の始まりでもあり、世界の始まりでもある。

だから<わたし>とは、他者や何かに見られているという想像上の眼差しを通して立ち上がった概念で在るため、存在の本質そのものではない。

<わたし>は世界を動き回るが、存在の本質としての自分の視野空間は動かない。

<わたし>とその<わたし>がいるということになっている世界を不動の視座で見つめているのが、自分の本質であり、それは精神(魂、心)と呼んでいるものだ。

この物質世界が概念ならば自分の肉体も概念であるわけだが、その肉体の五感で感じ取っている感覚は、実は肉体で感受しているのではなく、精神の働きによるものだ。

そして実は、精神は今、目の前に’全て見えているもの’だ。仏教の直達正観とはまさにこのことを意している。

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11月19日の牡牛座・満月(部分月食)は、私たち人間が世界を認識している意識構造そのものを解体するプロセスを示唆しているように感じました。どうりで私たちの時空感覚がますます曖昧になってきているはずです。

これから、’人間である自分’についての概念的根拠が根底から覆されていくような強烈な力が働いて、それを意識上で顕在化していくのかもしれませんね。