【射手座・日蝕】日常生活の中に見出す普遍性

 

私には存在が認識できるのか。
創造行為の中で
自分の存在を確認できるのか。
私は 自分自身を宇宙自身の中に
そっと組み入れる力が
自分の中にあると感じる。
(ルドルフ・シュタイナー「魂のこよみ」12月第1週)

射手座・新月(皆既日蝕)

毎年、太陽が射手座の領域を巡るこの時期は、冬至に向かって暗さと静けさが日に日に深みを増していく。
自然と意識が自分の内側へ向かう。
そして、この静寂の中に何かを感じ始める。

「ああ、なんということだ。ここに在ったのか。ずっと探し求めていたものが!」

                   ・・・・・

「もっと大きな世界を見てみたい。もっと遠くへ行きたい。まだ見ぬ未知の可能性を知りたい。」

という衝動に駆られるがまま飛び出して、これまで何度も旅に出た。

だけど、お金と時間さえあれば誰でもできてしまうような楽しい体験がしたかったわけでも、遠い外国の美しい景色を見たかったわけでもない。

それなのに、どこまで行っても、何をしても、誰といても、まだ何か肝心なことを知り得ていない、探し求めているものに出合えていないという落胆、焦燥感、苛立ちが胸を詰まらせる。
もしかしたら、そんなものははじめからないのかもしれない、という諦めや絶望感もちらつき始める。

実際的に行動にも移すことも多い射手座の旅は、実は自分の内なる探求の旅をしている。
それはこれまで普通に当たり前とされてきた世界のあらゆる既存を飛び出していこうとする精神の旅。

だから、この世界に既にあるものや受動的に与えられるものの中に探しても答えは絶対に見つからない。
つまりは、自らがこの世界を超えていく精神そのものになっていくしかないのだ。

それを求めて射手座までやってきた意識よ、
「自分の中にある最も低きものと最も高きものを見出せ」

自分の中の最も低俗で卑しく、弱く、みずぼらしく、情けないもの。しかし理性ではそれに抗うことができないもの。
この自分の中にある怯える獅子を優しく抱擁せよ。
自分自身の緊張や硬直が溶けるまで、ゆっくりと時間をかけて。

「最も低きものと最も高きものを混ぜ合わせよ」

優しく抱擁された腕の中の獅子は安堵の微笑みを浮かべると、あなたの中に神的な火に灯し始めるだろう。

ここであなたは初めて自分という存在はこの神的な火そのものであると知る。
この自分の本質である神的な火が地球に根付いた獅子と共に肉体の中に囚われているのが人間だ、ということを知る。

「最も低きものを最も高きものに上昇させよ」

神的な火は永遠なるありとあらゆるものの源、無限性そのもの。
自分とは、一見、様相や次元領域の異なるこれら全てのものを繋いでいる存在なのだ、と知った上で人間を生きる意識。
これが錬金術であり、射手座の精神のチャレンジでもある。

◆ ◆ ◆

今回の射手座・日蝕では、この射手座のチャレンジが日常の現実世界の中にあることを示すしているように思う。
それは真の人生の目的を見出すことにも関わっているようだ。

ここからはこれまでの既存の人間意識の在り方そのものが未知の形で根底から反転されていくかもしれない。
しかしそれを自分の意志で能動的にやるのか、受動的にやるのかでは全く異なる時間軸に進むことになるのだろうことをこの射手座・新月が伝えていることのように感じる。